函館ではゆっくりと出来なかったが、半日だけぶらぶらと歩いた。相変わらず雪が少ない。友人に会うのもおっくうだし、帰省したという連絡もしていない。ここはひとつ、運動のためにもなるし、建物探訪でもしてみよう。……(友人の方々、もし見ていたらすいません)
函館は不思議な町である。観光客の集まる場所はそれなりに活気があって、おしゃれで、美しく、幻想的で、エキゾチックな雰囲気を演出してくれる。しかし、一歩裏道を行くと、そこはすえた、崩壊寸前の、時間の止まった、かび臭い町並みを露呈する。この二面性が、良くも悪しくも函館の町並みの第一の特徴と言えるのではないだろうか。
「大正湯」昭和3年竣工。現役バリバリの銭湯である。函館の民家の特徴は、2Fが洋風で、1Fが和風と言うハイブリットな「洋風町屋建築」の様式に分類される。「大正湯」もその範疇に入る。ピンク色の下見板に、持ち送りのついた軒天井、縦長の上げ下げ窓。ホワイトラインの胴蛇腹、日本風にアレンジされた(?)屋根のぺディメント。実におしゃれである。いや、ハイカラなのである。これぞ、擬洋風の傑作である。
しかし、現在ではご覧の通り、お客は老人ばかり。この「ミシンとこうもり傘」のような出会いが、小生には実に感動的に映るのだ!
「大正湯」は、何度か映画のロケ地としても使われている。まあ、全国的に有名な銭湯と言うわけだ。とはいえ、地元の人々は、そんなことには無頓着である。「なんもぉ、普通の風呂だでぇ」そんな言葉が、どこからともなく聞こえてきそうである。
中央玄関には、竣工当時下屋がなかった。戦時中「灯火管制」のために出来たものである。「明るくするな!」との当局からの命令である。小さいころから聴かされていた、母親の戦時中の苦労話が思い出される。
「大正湯」から程近い坂道に「千歳坂」がある。この坂を上り詰めたところに「西別院」がある。この寺はまた面白いものが建っているが、それは別の機会にしたい。今回は、そのすぐ下にある「鯨族供養塔」を紹介したい。
幕末のころ、函館にはジョン万次郎が派遣されて、捕鯨の指導をしたという。港町であるからにして、鯨との関係も少なくない。
この「鯨族供養塔」は天野太輔という捕鯨船の砲手が、生業とはいえ殺生の罪深さを痛感して、昭和32年に鯨の供養のため個人で建てたものである。天野83歳の所業である。
「26年間の捕鯨生活のなか、度々親子の鯨も捕獲せざるを得ず、その生命を奪ってきた。妻を亡くし、3人の子供なくし、老いさらばえる今日この頃、痛切に世の無常を感ずる……」と、碑文が刻まれている。(注:現代語に都合よく小生が訳しております。)
塔の天辺には「背美鯨」の模型が乗っている。面白い。裏面には、鯨の特徴などが記載されている。実に面白い。小生は小さいころ、お寺さんの帰りに良くここへ連れてこられた。なんのことはない、ただ面白いからといって親父が案内するのだが、いつも見て知っている小生には、「またか」という不満ばかりが募った。懐かしい思い出である。(笑)
親父は鯨が大好物であった。もちろん、安いからである。
きっと今頃、こんなにも高騰した鯨のことを知って、草葉の陰で泣いているに違いない。
大正湯右アングル
大正湯左アングル
鯨族供養塔