「ハリストス正教会復活聖堂」通称ガンガン寺。
別にロマンチックな雰囲気を出したい訳ではないが、正月なので今回は夜景を撮ってみた。
大正5年竣工。レンガ造1階建て。外壁は漆喰塗り仕上げ。屋根は銅版葺き。設計は河村伊蔵である。
この聞きなれない設計者については、後述する。
北海道とロシアの関係は、実に微妙である。前回はミグの話をした。今回は――、いやいや、やっぱりガンガン寺の話に止めておこう。(笑)
神田に、コンドル先生の手になる有名な「ニコライ堂」がある。実はあそこのニコライさんが、ここ函館のハリストス正教会の二代目の司祭である。
つまり函館は、日本におけるギリシャ正教会誕生の地であったのだ。(ロシアなのにギリシャ正教会? 誰かに突っ込まれそうだなぁ~)
この函復活聖堂の建物は二代目であるが、初代(明治40年に消失)の聖堂は何とも不可解なフォルムをしている。参考までに写真をUPしておく。
こちらのほ方が数倍も驚異的なのだが、まあ、ロマンチックという視点ではねぇ~。
因みに、ハリストスとは、あちら語でキリストのことを言うそうである。幼少の頃、小生はこのハリストスさまの洗礼を受けて、後に清貧を味わうことになる。というのは真っ赤な嘘である。いや、清貧が嘘なのではなく、洗礼を受けたことが、です。念のため。(笑)
ガンガン寺の鐘の音は、その名に似合わず、「ガンガン」とはならない。大小の鐘が複数個重なり合った音色で、鬼太郎の下駄のように「カラン・コロン」に近い。
この鐘にもいわくがある。
資料を紛失したので正確さを欠くが、東京のニコライ堂が戦火で鐘を消失したので、長い間ここの鐘を運んで代用していたと言うのである。それが何年か前に返還されて元に戻ったと聞いている。なのに、未だに北方領土は返らない。(失礼)
とにかく擬洋風の大傑作である。
ロシア風ビザンチン様式。何とも大仰な様式であるが、ゴシック風の八角形屋根に玉葱形キューポラを乗せ、都合6個もの玉葱ドームが屹立する。壮麗である。実に、にぎやかである。
キューポラといえば、溶鉱炉かはたまた戦車の見張り台か? などと思う方も多いと思うが、このへんてこりんな突起物も建築用語でキューポラと呼ぶ。
残念ながら吉永小百合の映画「キューポラの見える町」は、函館を舞台としたものではない。(余計なことだが)
それにしてもこのにぎやかさ。本家本元ウラジーミール大聖堂に全く引けをとらない。
まさに、これは天才のなせる業としか言いようがない。
この偉業を成し遂げた天才は、設計者・監理者である河村伊蔵。彼はニコライさんから洗礼を受けた熱心な信者でもある。
他に豊橋、白河、修善寺の正教会堂を手がけた。いわば、正教会お抱えの建築家である。
とはいっても、彼はもちろん建築の専門家ではなかった。ずぶの素人なのだ。少なくとも、これらの建築を手がける前までは建築の教育を受けたことがないらしい。
コンドル先生も、バルトン先生も、ヴォーリーズ先生もそうではあるが、日本おける近代建築の草創期は、外国人ということだけで、決して本格教育を受けた建築家が活躍したのではなかった。
この事実は面白い。実に面白いが、あまり知られていない。
外国人と聞いただけで、当時は何でもありがたがっていた時代なのだ。(今でもそうだが)
と、ついつい皮肉っぽい論調になるが、この河村伊蔵さん、現代建築の巨匠内井昭蔵のおじいさんであるらしい。
うーむ、小生も天才の系列に生まれて来たかった。
ハリストス正教会復活聖堂・夜景
夜景
初代ガンガン寺