お稲荷さんだからといって、丹塗りの赤い鳥居ばかりとは限らないらしい。
狛犬にかわって、お狐さまがお守りしているとも限らない。
神社によっては、八幡様やその他の神社(やけに大雑把)と見分けがつかないところも多々あると聞くが、その辺の事情は良く知らない。(乱蔓さん、どうなんでしょうか?)
やはりお稲荷様といえば「赤いきつね」である(いえ、うどんではありません)。
何本も鳥居が立っていて、幟旗がいっぱいあって、とってもとってもにぎにぎしいイメージ。
お稲荷さまとは、そういうものだと小生はずっと思っていた。
ずっとというのは、先日ここへ来るまでのことである。
ここへ来て、小生は少なからずショックを受けたのだ。
京王線、代田橋駅のすぐ近く、周囲はなぜかお墓に囲まれている。(隣の寺のようだが)
「稲荷神社」と標柱には書かれてある。
はて? なに稲荷なんだろう? ただの稲荷神社?
と、そんな疑問がまず沸いてくる。
よく見ると稲荷の文字の上に四角いくぼんだ跡がある。
なんだろう?――どうやら、何かの文字を消してあるみたいだ。
「○○稲荷神社」
いろいろ当てはめてみたが、思いつかない。
裏を見た。昭和11年12月……又何か消してある。
うーむ、これは調べてみる価値がある。
鳥居は変哲のない御影石で出来た「明神鳥居」である。
(鳥居は他に、もっともスタンダードな「神明鳥居」という名前のものもあるのでややこしい)
やはり狐が見当たらない。赤くもない。どうしてだか寺にあるような灯篭が見られる。
しかし、社殿はかなり立派な造りである。平入り流れ向拝付。
八幡造り、いや、エの字になっているから、権現造りかもしれない。
後殿の屋根には千木やかつお木も見られ、前拝殿の造りと大きく違っている。
はて? 後から建て増ししたものだろうか?
それとも始めから、タッチを変えた?
いや、水島新司ではないのだから、タッチは変えないだろう。……(すいません)
荒れ果てているとは思わないが、管理が行き届いているとも思えない。
社殿の下には、材木や、はしごが置いてある。
何かの作業のために置かれたものではない。ずっとここに放置されているようである。
裏には工事現場のブルーシート。怪しい。なにを建てようというのか?
奥には小さな末社があった。なるほど。あれがお稲荷さんかもしれない。
と思いきや、どうも雰囲気が違う。狐のにおいがしない。
どこかに狐穴でも開いているのだろうか?
どうやらそれも見当たらない。
見渡すと、モダンな建物が見える。モダン? ははあ、これが社務所だな。
それにしても、植木鉢でいっぱいである。雑然としている。
怪しい雰囲気は、この植木鉢の方から漂ってきていたのか?
一通り見渡してみたが、それ以上の発見はない。
大して面白くもないなと立ち去ろうとした時、ふと目に留まったものがある。
ポンプである。いや、井戸である。こんな街中に井戸? しかもどうも現役のようだ。
ブルーのホースが繋がっている。
そして、次に見たものは!
――と、何ももったいぶる必要はないが、いました。いたのです。お狐様が。おや、あっちにもこっちにも。……
それにしても、こんなに小さいとは? しかも荒れている。首がないもの。あごがないもの。尻尾がないもの。……インディアンの襲撃にでもあったようだ。
どうしてこんな無残な?
これは帰って調べるしかない。
鳥居を出ると、ダイオキシン垂れ流しの焼却炉があった。(笑)
はぐさ稲荷。(大原稲荷)天明2年5月、伏見稲荷大社神宮摂津の守信邦の直書により、勧請したと伝える。
派倉がなまって、はぐさと呼ばれるようになったという。
現社殿は昭和7年の改築。末社は大鳥神社。世田谷区内唯一の酉の市でにぎわう。
なかなか由緒正しき神社ではないか。
怪しいなどといって、大変失礼いたしました。(笑)
標柱に消された文字の跡が……
表柱の裏にも消された跡
明神鳥居
権現造りの立派な社殿
末社と足場のかかった小屋
モダンな社務所
現役のポンプ小屋
インディアンに荒らされたお狐様1
お狐様2