かつて、柳田國男は成城に住んでいた。
昭和2年以降のことである。
昭和2年といえば芥川が自殺した年でもある。河童忌:7月24日。
柳田は、この年8月に成城に移り住んだと言う。
先日、氷川神社の帰りに成城へ立ち寄った。
世田谷通りと多摩堤通りの交差点を北上したところが成城学園駅前である。小生は車の免許証を持っていないから、道路の名前など良く分からない。タクシーに乗ると、良く「○○通りでいいでしょうか?」などと聴かれるが、道路の名前など聞かれたって分からない。「とにかく○○へ到着してくれ」と頼むしかないのだ。同じところへ行っても、いつもタクシー料金が違う。これは、小生だけのせいではない。……(笑)
それはともかく、ここの通りは「成城通り」と言うらしい。正確には分からない。かなりな急勾配の上り坂で、おまわりさんも自転車から降りて手で押していた。
小生も当然自転車である。
この自転車は12段切り替えのマウンテンバイク。
どんな悪路でも平気な筈だが、なぜか坂道には耐えられない。
いや、自転車は絶えられるはずなのだが、小生の体力が耐えられないだけだ。短躯の巨漢がマウンテンバイクを手で押す姿など、傍から見てかっこよく映るはずがない。
柳田邸の住所を調べながら、自転車でぐるぐる同じところを探し廻る。無い。どうしても無い。
もしかして住所が違っているのか? などと思いながら周辺をくまなく探す。こういうときは、自転車は本当に便利である。何度も何度も住所を調べてみたが、柳田邸は結局見つからなかった。
取り壊されてしまったのだろうか?
そんなことはよくある話なので、そうかも知れない。でも、たいていは資料に載っている住所が間違っているケースが多い。個人住宅は、本当に探すのに手間がかかるのだ。
このまま帰るのもしゃくなので、成城らしい某住宅を紹介したい。
限りなく柳田邸に近い住所である。(の筈である)
何枚か写真を撮って、事務所へ戻って調べてみた。
昭和2年竣工。奇しくも柳田邸と同じ年である。
ハーフチンバーといい、ハイサイドライトといい、柳田邸に似ているところが多い。もしかすると同じ設計者か? とも思ったが、違っていた。設計者は中村寛。どうやら、内務省の技師であるらしい。
切妻屋根のデザインが見事である。1F部分は南京下見板張り。上部はモルタル壁にハーフチンバー。プロの仕事である。感服する。
庇裏と軒裏は小幅板張り。庇両端のブラケットがまたかっこいい!
ハイサイドライトと煙突が、豪華さを増している。おしゃれである。ステキである。成城に住んでみたい。そんなことを思わせる住宅である。
「成城の白い家」
小生は今日からこの建物をこう呼ぶことにした。
成城の白い家正面
正面アップ
ハイサイドライトと煙突がかっこいい!