そうだ!弘前へ行こう……
と、突然思い立った。
しかしよくよく考えると、仕事はわんさかたまっているし、打ち合わせがあって日曜日も休めない。スタッフも休んでいる。
うーん、どうしたらいいのか?
そろそろ精神的に限界かもしれない。
ええ~い、かまわずトンズラしてやろう!
何もかも捨ててやるぅ~。(笑)
というわけで、旧弘前市立図書館。
竣工は明治39年(1906)。
設計・施工は地元大工の棟梁の堀江佐吉。
佐吉は弘前における擬洋風建築の代表選手である。
作品も数多い。しかも、すばらしい名建築ばかりを残している。
この作品は、逝去の前年のものである。
ハイカラなぶったまげたデザインである。
もともとは佐吉とその実子、市内の請負業者らが資金を出し合って弘前市へ寄贈したものだと言う。
晩年の佐吉は相当な金持ちだったに違いない。弘前市への影響力は、当時は絶大なものだったと考えられる。……
昭和6年まで、佐吉の思いの通り市立図書館として利用されていた。東奥義塾の拡張によって移転を余儀なくされ、その後一時民間アパートに改造されている。
アパートの頃の写真が残っているが、現況写真とはかなり違う。
奇抜なデザインである。
左右対称かと思えば、そうではない。
なんと、玄関が真ん中ではなく左の塔に配置されている。これは驚きである。なぜこうしたのだろうか?
写真ではよくわからないが、左右の八角形の塔は、実は同じライン上にはない。左のほうが、やや後方へ(玄関の階段の分だけ)配置されているのだ。
階段の面と右側の塔の面が一致する。面白い。実に面白い。素人には分からない微妙な変化を楽しんでいるようだ。(笑)
双塔のドームの形状は、北海道道庁のドームをやや扁平にした感じに見える。いや、明らかに意識しているだろう。
各層を胴蛇腹で押さえて、重厚な陰影をもたらす工夫がなされている。
デンタル模様風のデザインがややしつこいが、高い風格をあらわしている。
中央のドーマー窓など、立派な「ルネッサンス」様式である。また、これほど窓が多いのも、佐吉の技術の高さを裏づけするものだ。
佐吉はもともと宮大工で、明治10年頃、北海道の開発ブームに乗って自ら開拓使の工事の下請けをした。
そこで、函館にたどり着き、その街並みのハイカラさに度肝を抜かれたという。
開拓使の仕事をしながら、暇を見ては他の現場へと立ち寄り、貪欲に洋風建築を研究したらしい。
いわば、函館仕込の職人であるが、弘前へ戻ってからは地元で花を咲かせる。故郷へ錦を飾る。えらい! 昔の人は、地元意識が相当高かった。
平成2年に、現在地へ修復・復元され今日に至っている。
今日?
いや、実はこの写真は数年前に弘前へ行った時のもので、小生は相変わらず事務所で仕事をしている。(笑)
突然旅行など行けるはずないよなぁ~。
最近、近場の建物も見に行くことができず、ややネタ不足気味。
写真を整理していたら、面白い写真が出てきたのでしばらく弘前編と続く予定。
旧弘前市立図書館正面
同側面
旧東奥義塾外人教師館の奥に見える市立図書館