「一旦、プールしておく。」
こんな言葉を、小さなときには良く使った。
小さいときだから、良く意味もわからずに使っていたかもしれない。
「プール」という響きが、なんとなく幼い小生の心を揺さぶったのだろう。
いずれにしても、今ではこんな使い方はあまりされない。
いや、どうだろう?
とにかく、自分ではもう何十年と使っていない。
さて、「国立代々木競技場・第一体育館」である。(唐突ですみません)
または「国立屋内総合競技場」とも呼ばれている。
設計は、いわずと知れた丹下健三。
追悼特集のつもりでちょいと出掛けてみた。もう、だいぶ日が経つ。
昭和39年(1964)竣工。SRC・RC造・S吊構造。施工は清水建設・大林組。
構造は坪井善勝、設備は井上宇市。
丹下の名前を世界に知らしめた作品である(悲しいかな、構造と設備はいつも裏方扱い)
東京オリンピックのために建設されたのは周知の通り。
18ヶ月という、恐るべき突貫工事で建設された。名実ともに、綱渡り工事である。
この建物への想いは「東京カテドラル」の項でも触れた。
小生に限らず、建築を目指すものはすべからく丹下に憧れた。(すべからくの誤用有り?)
とにかく、人知を超えたフォルムなのである。
サーリネン先生も真っ青。2本の高張力鋼ワイヤーロープによるサスペンション構造が緊張感を増している。
これだけ大規模なものは、他に例を見ない。
国家の威信を掛けたプロジェクトであった。(と、なんだか「プロジェクトX」みたいな口調になる)
このワイヤーロープ、いわばこの建物の命綱であるが、見た目は案外とか細い。
緊張感! 巨大なトコブシの貝殻を2本の荒縄で吊っている。
まさに綱渡り的恐怖感覚!
当時、競技に参加した選手は十字を切って中へ入ったという。(嘘です)
先日見た時は、バスケットボールの大会があった。
あれ? ここは確かプールではなかったか?
記憶があやふやになってきた。
「代々木のオリンピックプール」
確かにこの建物はそう呼ばれていた。いや、嘘ではない。断言する。
教科書にも、中で選手が泳いでいる写真が載っていた。
夢ではない。でも、前はアイススケート場でもあったような。……
と、白々しい思わせぶりはやめるとする。(笑)
当初から、夏はプール、冬はアイススケートとしての機能を有していた。
また、プールの上に床を張って、柔道でもバスケでも何でもできるようになっている。
最近では「光ゲンジ」(V6だったか?)などのコンサートも行われたようだ。
変幻自在の建築機能。これぞ、縁の下の力持ち、設備設計のおかげである。
でも、プールに戻すには一体どれだけの費用がかかるのだろうか?
いざという時に「経費をプールしておこう!」
なんて、お後がよろしいようで。……(笑)
2本のか細い命綱
緊張感あふれる内観
流線型の外観
ついつい登ってみたくなる、綱渡りアングル
ピン構造の高張力ワイヤーロープ見上げ
ワイヤーロープ・アンカー部(注:ここを壊せば、この建物は崩れます
)