無茶苦茶な日々がようやく終盤を迎えようとしている矢先に、また新たな難題が舞い込んできた。
難題と聞くと、なぜか小生の血は騒ぐ。
前々から感付いていたのだが、どうやら小生は、根っからのマゾヒストのようだ。
無茶苦茶と言えば、コンドル先生もかなり無茶苦茶な人物である。
日本近代建築の父とまで言われたコンドル先生ではあるが、よくよく調べるとかなり風変わりな御仁のようだ。
まず「お雇い外国人」として現東京大学の教師として来日したのが、明治10年。コンドル先生24歳の時である。
若干24歳にして、建築の実務経験もほとんどなく、祖国イギリスとは程遠い異国の日本にやってきたこと自体がそもそもおかしいではないか?
ましてや、現東大の教師としてのVIP対応である。
この頃の日本は、まあ、外国人であれば誰でも良い、と言うような風潮があったのかも知れない。
「ソーン賞」と言う新人賞をもらった経歴だけで、これほど日本に優遇されるとは、コンドル先生もよほどホクホク顔だっただろう。(日本側にしてみれば、有名建築家を雇うよりも、かなりお安い請負金額だったと想像する)
それはともかく、コンドル先生は、遠い異国の地に赴いて初めて念願の建築実務に携わる。
イギリス人だから、もちろん専門は「西洋本格建築」である。
この頃の日本は、「西洋建築」という名称だけは知っているが、実際にどのような様式的相違があるのか良く知らず、まあ、日本以外の様式であれば何でもかんでも西洋建築と目されていた節がある。
そこで、コンドル先生は思い立った。
「これぞ私の生きる道!」
てなわけで、コンドル先生の無茶苦茶な「西洋本格建築」の啓蒙が始まるのである。(笑)
前振りが長くなった。
旧岩崎家住宅洋館である。
明治29年(1896)竣工。木造2F建て。地下1F。
湯島切通し坂の北に位置する。
言わずと知れた三菱創設者岩崎彌太郎の長男、岩崎久彌の邸宅である。
デザインは、イギリス・ジャコビアン調を基調とする、フランス・イタリアルネッサンスの様式に加え、更にコロニアル調、イスラム調のテイストを加味し、ゴシックの味わいを醸し出した、まったくもって節操のない「東西・折衷様式」の建築である。(笑)
でも、すごい。
驚きだ! かっこいい! 他には絶対ない!
これらの不可解なディテールを見ただけでも、当時の無知蒙昧な日本人は、ヘロヘロに参っただろう。
「これが、本格的西洋建築さ! 外人がやるのだから間違いない!」ってな具合である。(笑)
ここまで、無茶な遊びが出来てしかも世間には心底有難られるとは、まったくもって建築家冥利に尽きる。
コンドル先生、円熟期の傑作として1000年先まで残したい傑作である。
棕櫚の木がなんとも異国情緒を漂わせている。
複雑な木造下見板張り
ミナレットの付いた、コロニアル・サラセン風バルコニー
バルコニー内観(撮影者の影有り)
ゴシック様式の重みを持つ、階段室・ホール内観
無国籍様式の豪華な客間