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建築日誌
■晩香廬■    2005年05月30日

戦災で焼失を免れた、飛鳥山に存する2棟の内の1棟。
青淵文庫より早く、大正6年(1917年)の竣工。
木造+レンガ造、瓦葺の平屋建て。
設計は青淵文庫と同じく田辺淳吉。
施工は言わずもがなである。(笑)

こちらは、榮一の喜寿を記念して、清水組の当主・三代清水満之助から贈られたもの。
長寿の祝いごとに家を一軒贈られるのだから、金持ちはやはりすごい。まあ、きっとそれ以上に贈り主の面倒を見ていたに違いないが。……

この「晩香廬」は、接客用の歓談室であったという。
落ち着いた佇まいで、室内もさほど広くなく、また極端に贅を凝らしたものではない。
榮一はこの建物をこよなく愛したといい、ゴダールも中に入って歓談したとある。
一見どこにでもありそうな建物であるが、設計者・田辺淳吉のセンスのよさが充分伺える。

材料の木材はすべて栗の木で造られており、重厚な色彩を持ち、かつ耐久性にも優れている。
外壁のレンガタイルも、栗色に統一されている。
ハーフ・ティンバーとも、木造真壁とも付かない意匠も、なかなかいいセンスである。
淳吉のモットーは「凝らない工夫」であるという。
まったくもって、喜寿の贈り物にふさわしいデザインではないか。

内部は例によって、撮影禁止なので紹介できないが、暖炉に「喜寿」の「喜」の字をもじったレリーフが飾られてある。
2ヶ月ほど前に訪れたのだが、そのときは子供を連れたおじいさんが見学に来ていた。
「ほうら、すごいだろう」みたいなことを子供に言って聞かせているが、子供のほうはまったく脳本図であった。
おじいちゃんは、きっと腕のいい大工の棟梁に違いない、と勝手に小生は想像している。(笑)

「晩香廬」の名は、榮一自作の漢詩「菊花晩節香」から取ったとも、榮一の父の法名「晩香院藍田青於居士」(ああ、藍の字がある)からとったとも、また英語の「バンガロー」をもじったものだとも言われているが定かではない。


晩香廬
外観 1

晩香廬
外観 2

晩香廬
外観 3