■原美術館(旧原邦造邸)■ 2005年06月04日
先日、品川の原美術館へ寄ってみた。
久しぶりである。
実に二十数年ぶりである。
到着するなり、大変に驚いた。
玄関先に若者が大勢座っているのである。
はて、何の催しだろう?……
中へ入る。
玄関口から先は、若者から老人まで人でごった返していた。
ロッカー室の手前にあるミュージアム・ショップは特に混雑していた。
荷物が預けられないほどだ。
おかしい。何かが違う。場違いなところへ来てしまったのだろうか?
少々不安になってきた。……
タピエス展が催されている。
しかし、タピエスでこれだけ人が集まるのだろうか?
いや、違う。二十数年前とは明らかに雰囲気が違うのだ。
異国の人も多い。庭にカフェが出来ている。
増築もされている。従業員もたくさんいる。
これが、本当にあの森閑としていた原美術館だろうか?
私はだれ?
ここはどこ?
今はいつ?
まるでタイムトラベラーになったようだった。(古いなあ~)
昭和13年(1938)竣工。
施工は清水組。
設計は渡辺仁である。
東京国立博物館を設計したあの右寄りの大建築家。
そうか、そうだったのか?
こんなに人が集まるのは、建築家・渡辺仁の人気のせいだったのか?(と、白々しい)
澁澤龍彦の邸宅を設計した有田和夫先生が、当時学生だった小生らに酔っ払いながらある課題を出した。(嘘です、酔ってなんかいませんでした)
「原美術館を見てくること!」
正直言って、この課題には不平が集まった。
「そんな暇ねぇよ~」
しかし、よくよく考えると、見るだけで単位が取れるならこんな楽なことはない。
小生は手を挙げて先生に質問した。
「2回見に行ったら、製図の単位もくれますか?」
その後、小生は得意だった製図の単位を落として、人よりも長めに学校へ居座ることになるのだった。(笑)
モダニズムである。
渡辺仁であるが、右よりではない。
質素である。清廉である。モザイクタイルだ。
渡辺仁といえば、帝冠式と思わせる時期もあったが、決してそれだけではない。
実は、何でもこなせる器用人だったのである。
嫌味のないモダニズム。
67年を経過した現在でも、とっても新鮮である。
邸宅から美術館へ。……文句なしの再利用である。
これだけの賑わいを見せているのだから、再利用は大成功といってよい。
昔は人もいなかったから、バチバチ写真も撮れた。今では、見張りがきつくて内部は一枚たりとも写せない。
仕方ないので、外観だけでご勘弁願いたい。
注:課題を出したのは中田準一先生だったかなぁ~。
全景
玄関付近近影
ペントハウス