■東京みちの情報館■ 2005年08月06日
♪ 昔恋しい 銀座の柳
仇(あだ)な年増(としま)を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
明けりゃダンサーの 涙雨 ♪
ご存知、東京行進曲。昭和4年の大ヒット!
唄は佐藤千夜子。作詞:西条八十、作曲:中山晋平。
この唄でも分かるように、昭和4年にはすでに銀座には柳がなくなっていた。
明治10年に植えられて以来、大正10年にはほとんどの柳がイチョウへと植え替えられたという。
この曲のヒット後、再び銀座通りには柳が植えられるが、戦禍によりほぼ焼失。
その後捕植したが、環境変化により枯死するものが多く、昭和43年には衰弱した生き残りを建設省の苗圃に移植したという。
ああ、銀座の柳よ。モボ・モガよ!
どうでもいいけど西条八十の詩は玉石混交、和光同塵、ピンキリの格差が堪らない。(笑)
渋谷の「塩とタバコの博物館」なら良く知っていても、新宿の「東京みちの情報館」は知らない人が多いと思う。
実は銀座の柳の2世・3世が、この「東京みちの情報館」に植樹されているのだ。
小さな柳である。説明書きがなかったなら、柳であることさえ分からないかもしれない。……
いや、柳が主役ではなかった。
新橋と、京橋の親柱が主役である。
写真1が新橋の親柱(大正14年)。写真2は京橋の親柱(明治8年)。
驚くことに、京橋の親柱は「NASA」のスペースシャトルの原型であるという。(嘘です)
どことなく、ギーガの世界を髣髴とさせ、昔は本当に「モダン」だったんだなぁ~と感心させる芸術なのであった。
新橋の親柱
京橋の親柱
銀座の柳とスペースシャトル