Isidora’s Page
建築日誌
■旧子宝湯■    2005年09月05日

「千と千尋の神隠し」の舞台となったそうである。
いや、千と千尋はアニメだろうから、舞台ではなくモデルとなったのだろう。
「千と千尋の神隠し」とは、いたいけな少女(千)が、幼い腹違いの妹(千尋)を背負って、親父の借金のかたに湯屋に売られ、毎日いかがわしい妖怪どもの背中を流す「湯女」の人生を描いたものなのだろうか?

そんなわけがない。
そんなわけがないけど、昔はこんな銭湯が沢山あった。(笑)

子宝湯。
昭和4年(1929)竣工。
もともとは足立区千住元町にあったそうだ。
平成5年、江戸東京建物園に復元。
施主は、この子宝湯のほかに、全部で5件の銭湯を経営していたようである。
なんと、銭湯のプロフェッショナル。
とりわけこの子宝湯は、相場の2倍以上の金をかけた贅沢なしつらえだ。

建物のファサードは、入母屋造りの大屋根に大仰な唐破風を取り付けた、いわゆる「東京型銭湯」のプロトタイプ。
狐格子(木連格子)の妻飾りに立派な懸魚が付いている。
唐破風は、うのけ通しと呼ばれる懸魚が光っている。
立派なものである。大変立派な寺社建築様式である。
こんなにあり難い建物の中で、裸になるのは申し訳ない。(笑)

内部は、折上げ格天井といって、日光東照宮と同じ造りである。
脱衣場にあるのは乱れカゴ。乗せている台はざる台という。
これに「ケロリン」の洗面器があれば、小生の青年時代の風景そのものだ。
ちなみに小生の田舎の家には風呂がなく、なんと東京へ出稼ぎに来るまでは銭湯にしか行ったことがない。
いや、嘘である。
正確には出稼ぎに来たのは埼玉で、13年間、風呂なしのアパートに住んでいた。
いずれにしても、銭湯についてはかなり詳しいのだ。(笑)

現存する銭湯のペンキ絵の、およそ9割が富士山であるという。
ご他聞にもれず、この子宝湯のペンキ絵も富士山である。
しかも、大半が男湯にあるのが富士山で、女湯にはその他の絵が飾られている。
ここのは八ヶ岳であろうか?

湯船の壁に、取り外し可能な小さな看板がある。
懐かしい。これもペンキ絵である。
埼玉在住の頃、行きつけの銭湯で「ト○コ志木」というこの手の看板が一際目立っていた。
小島功の描くような河童風の女性が描かれたもの。
風呂帰り、そのト○コの前を通る。
どこかで話したかもしれないが、その隣は交番であった。(笑)
今では再開発のため、そのト○コも交番もなくなっている。
道路すら無い。
銭湯が残っているかどうかは分からないが、小生の心の中には、いつまでも美し思い出として残っている。(気取ってどうする/笑)

寺社建築を思わせる、大仰な外観
寺社建築を思わせる、大仰な外観

脱衣室の乱れカゴ
脱衣室の乱れカゴ

男湯場内観
男湯場内観