■植村三郎邸■ 2005年09月09日
看板建築である。「俺は愛した、痴人の絵を、欄間の飾りを、芝居の書割、辻芸人の絵びら、看板、絵草子を。
また、時代遅れの文学を、……」
言葉の錬金術――アルチュール・ランボオ――
看板建築の雄である。
アカデミズムの観点からすると、相当にいかがわしいであろうこれら無名職人の卓越した技を、芸術の世界にまで押し広げた藤森先生のご尽力には、いくら礼を申し上げても申し足りない。(持ち上げ持ち上げ)
と、とりあえず肯定してみる。(笑)
でもしかし、看板建築はあくまでも看板建築であって、必要以上の評価は禁物である。
学問的に云々するなど、まったく余計なことなのである。
「かっこいい!」 もしくは、「すごい!」
ただ、それだけいい。
理屈をこねられたのでは、好きなものも嫌いになっちまうってぇ、わけだぁねえ~。(道産子なので、上手くべらんめぇ調が言えない/笑)
でも、小生は理屈をこねるのが好きである。
これは自己矛盾。
しかしながら、美とは矛盾によって成り立っている!
と、支離滅裂ですみません。(笑)
竣工は昭和2年(1927)。
もともと中央区新富町にあったものだ。
平成10年に江戸東京たてもの園に復元。
木造2階建て。(本当はインチキをして3階建て)
ファサードは、見事な銅板装飾で覆われている。
元所有者の植村三郎氏は、実際にたてもののデザインも手がけたようである。
「和」であるのか、「洋」であるのか?
内部は完全な「和」に仕上がっている。もちろん、これは暮らすため。
外観は、商売のため(時計店・貴金属店である)、ひときわデコレイティブな「洋」(?)である。
数ある看板建築の中でも、この植村邸はかなりの上物である。(芸術的とは言わない)
かっこいい!
道路から見ると2階建てのように見せておいて、実は裏へ回れば3階建て。
ただし、当時はぎっしり軒が並んでいるので裏へは回れなかったであろう。(笑)
(※木造3階建ては、原則禁止されていた時代である)
2階窓の手摺は、はね高欄に銅板巻きである。純和風。
パラペットは、デンテル模様の施した洋風のデザイン。
中央アーチの紋章は、フリーメーソンを模したもの。(うそ)
UとSが重なって「植村商店」を意味しているのだという。
これだけのものを現在建てようとしたら、どのくらい費用が掛かるだろうか?
いや、費用よりも、精緻な技をこなす職人がいない。
銅板の錬金術!
ランボオが見たなら、おそらく狂気ランボオしたことだろう。……
と、親父ギャグで〆る。(笑)
2階建てに見える前面ファサード
窓廻りの銅板模様
マンサード屋根が美しい裏側