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建築日誌
■三澤家住宅■    2005年10月31日

三澤家住宅(日本民家園内)
旧所在地は、長野県伊那市西町。
19世紀中期。
切妻、1F(一部2F)、石置板葺き、門構えのある格式の高い町屋である。

「槌屋(つちや)」という屋号をもつ薬種問屋、後に(明治の初期頃)旅籠も兼ねる。
主は、伊那村の村長を務めるほどの有力者である。
どうりで、立派な門構えだ。

石を置いた板葺き屋根は、岐阜や長野などの山間部に多く見られ、良材の豊富な地方を意味しているという。
風の強い港町にもよく見られるが(いや、昔の話です)、意味合いは少し違うようだ。

通常、町屋では門構えや式台は許されない。
これが可能なのは、武士を泊める本陣などに限られていた。
しかし、この三澤家のある伊那部宿には、門構えを持った町屋が十数軒ほど建っていたということである。
むむ、何かある。なんだか銭のにおいがする。(笑)
政治献金のおかげだと解説にはあるが、この構造は今も昔も変わらない。

間取りは、半農半商の性格を良くあらわしている。
よくあらわしているとは書いたが、半農半商の生活なんてそもそも分からない。(笑)
とにかく、今まで見てきた農家のプランとはずいぶん違う。
複雑なのである。
主屋と門のほかに、離れ座敷と隠宅、文庫倉、味噌倉、三棟の米倉などがあったというのだが、移築に際して、断腸の思いで取りやめたということである。
ああ、残念でたまらない。(とは、書いてありませんが)

土間は「トオリ」と呼んでいて、表から裏へ通じる道になっている。
「ミセ」は表通りに面しているが、門からやや奥まったところに配置されている。
「トコ」のついた「ザシキ」が二間もあり、「オオエ」と呼ばれるリビングに面して「ロウカ」がある。
なんと、廊下があるのである。(驚)
ふすまだけで仕切られた農家のプランから見ると、かなり贅沢なあつらえである。
もちろん、小生の住んでいるマンションにも廊下などない。(笑)

三澤家住宅 
三澤家住宅・外観

「トオリ」から「オオエ」を見る
「トオリ」から「オオエ」を見る

妻側の漆喰壁
妻側の漆喰壁