Isidora’s Page
建築日誌
■田園調布駅舎■    2005年11月03日

「目蒲線」がいつから「目黒線」に変わったかは知らない。
きっと、最近のことであろう。
先日この目蒲線、いや、目黒線に乗ったのだが、ずっと目蒲線だと疑わずに乗っていた。
♪ 僕は悲しい目蒲線~ 
ってな歌があったが、あの歌は一体いどうなるのだろう。(笑)

田園調布駅である。
竣工は大正12年(1923)。
設計は矢部金太郎。
木造2F建て。

しかし、この駅舎は目蒲線の地下化によって、15年ほど前に解体されてしまった。
なんだかずいぶん騒いでいたような気がするが、5年ほど前にまた同じ場所に復元される。
はじめから壊さなければいいものを、こうやって日本は世界一の無駄遣い王者となるのだ。
復元された駅舎は、昔よりも綺麗になって、幾分軽くなったような気がする。
まったく、復元とはこういうものだ。
ずっしりと重い、歴史を感じさせる建築物となるには、それ相応の時間というものが必要なのだ。

「田園調布に家が建つ」で一世を風靡した星セントルイスも、もうこの世にはいない。
「俺たちに明日はない。キャッシュカードは残りがない」
と言った彼らは、果たして田園調布に家を建てられたのであろうか?(笑)

そういえば、しばらく前、飛鳥山にある澁澤榮一邸内の「晩香盧」と「青淵文庫」が重要文化財に指定された。
ここ田園調布も、澁澤榮一が田園都市会社と作り上げたニュータウンなのである。

田園調布には多くの有名人が住んでいるが(豪邸も多いだろう)、ここへは伊東忠太の幻の作品を探すために来たのであった。(先週の日曜日のこと)
しかし、残念ながらそれは見つからなかった。
住所はあっているのだが、どうしても見つからない。
きっと、とっくに取り壊されてしまったに違いない。……
忠太の建物(関与のみか?)など、この駅舎のように復元運動など起ころうはずもない。(笑)

田園調布駅舎 
田園調布駅舎・正面(道路側)

側面
側面

裏側 
裏側

正面 
正面