Isidora’s Page
建築日誌
■日本水準原点標庫■    2005年12月28日

☆42.195km。
これはオリンピック・フルマラソンの正式距離である。
しかし、第一回アテネ・オリンピック(1896)の時は、実際は40kmにも満たなかったという。
パリ・オリンピック(1924)で、正式に今の距離が採用されたのである。(うんちく・うんちく/笑)
おお、42.195kmよ!
それにしてもお前は、何と言う中途半端な数字であろうか!

ということで、日本の水準原点である。(笑)
いささか唐突なようだけれども、実はこれには訳がある。
「訳がある」とは言ったものの、たいした訳があるわけではない。(笑)
いや、回りくどい言い方はよすとして、その標高数値が面白いのだ。
なんと、フルマラソンの距離に似ている。
☆24.4140m。
うーん、やっぱり似ていると思うのは、小生だけかも知れない。(笑)


赤坂からはちょっと離れるが、国会議事堂前のひっそりとした前庭に、首吊りでもしたくなるような寂しい公園があって(おお、憲政記念館よ)、さらに寂しい一角にこの「日本水準原点標庫」は存在している。(笑)
誰も知らない。誰も立ち寄らない。
まあ、水準点なんてものは、そんな目立たないところにあるのが理想的なのです。

この水準原点、明治24年(1891)に創設され、以来ここが日本の原点となった。(へそではありません)
当時は24.50mという、いたって単純な数字であったのだ。
関東大震災で地盤沈下し、今の数値になったということである。
うーん、あれからずいぶん日が経ってるしなぁ~。
測りなおしたら、きっと数値が変わっていることだろう。(笑)

そして、この記念すべき水準原点を覆っているのが、本建物なのである。(中は見られない)
竣工は同じく明治24年(1891)。
設計は、工部大学一期生の佐立七次郎博士である。(金子光晴の義祖父)
同じく一期生の辰野金吾や片山東熊、曽禰達蔵らから比べれば、無名に等しい。
それは「謙遜が其度を過ること余りに甚し」かったためである。と、後日曽禰達蔵にご高評をいただいている。
うーん、有名人にこう評価されてもなぁ~。(笑)
他に「旧日本郵船小樽支店」しか残っていないという。

デザイン的には、ローマ風トスカナ様式のオーダーを採用した、いたってシンプルなもの。
エンタブラチュア(柱の上の帯状部分)とぺディメント(三角形の破風部分)のみで表現されている。
もちろん、菊の御紋と「大日本帝国」の文字がある。
銘板の文字は「水準原点」と読める。(いや、実は読めませんが/笑)
小規模ではあるが、なかなか厳かな建物である。

☆24.4140m。(ニシ・ヨイヨレ)
こう覚えても、試験には出ませんからご注意ください。(笑)

日本水準原点標庫正面 
日本水準原点標庫正面

側面 
側面

エンタブラチュア 
エンタブラチュア

銘板