■旧東京音楽学校奏楽堂■ 2006年01月11日
♪ 丘ぁを~超ぇ~てぇ~行こうよ!
ご存知! 昭和を代表する国民的歌手、藤山一郎の名曲「丘を越えて」。
カラオケで歌ったことのあるお方なら知ってのはずだが、この曲のイントロの長さには閉口する。
とにかく長いので、マイクを持ってから、何か一つパフォーマンスを繰り出さないと場が持たない。
小生はいつも、この軽快な古賀メロディーに合わせて、ひらひらと欽ちゃんダンスを踊るのである。(笑)
と、ばかげたイントロは短めにして(最近イントロが長い)、さっそく本題に入りたい。
旧東京音楽学校奏楽堂。(上野公園のはずれにある)
明治23年(1890)竣工。
設計は、当時文部省の技師である山口半六と久留正道のビューティー・ペア。
加えて、音響設計は上原六四郎が手がけたという。(半六と六四で、六四が勝ち!)←意味なし。(笑)
この建物は、東京芸大音楽部の前身、東京音楽学校の講堂として建てられたものである。
日本初の、西洋式本格コンサート・ホールとして知られ、昭和63年には国の重要文化財に指定されている。
昭和58年まで現役で使用されていたというから、なるほど大したものである。
「滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が楽曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です」
と、パンフレットには書かれてある。
おいおい!
藤山一郎が「丘を越えて」を熱唱した記念すべき舞台であるとは明記しないのかいっ!
って、ここで歌ったかどうか知りませんが。……(笑)
圧巻は、何といっても舞台中央に設置されたパイプオルガンである。
1851年のロンドン万博に展示されていたものを徳川頼貞侯が買い求め、後に音楽学校へ寄付したものであるという。
その音色は、パフパフと入れ歯の婆さんみたいな感じであったが(笑)、聴く人が聴けばそれなりに美しい音色なのであろう。
因みにこの日(8日の日曜日)、東京芸大音楽部のお嬢さんが「チャラリー 鼻から牛乳ぅ~♪」で有名な、あのバッハ作「トッカータとフーガ ニ短調」なる楽曲をパフパフ弾いていました。(笑)
声楽科のお嬢さんも、なんだか聴いたことがある歌を甲高い声で歌っていた。(注:中島みゆきではありません)
そうそう小生はこの日、建物の見学で入っただけなのに、偶然日曜コンサートなるものに引っかかり、出るに出られないで我慢して最後までパフパフに付き合ったのでございます。
クラシックを聴くような、高尚な趣味はもっておりませんので、あしからず。(笑)
建物の解説は面倒くさくなったので省略するが(いつもと同じじです)、一つだけ面白い点を。
天井はかまぼこ型ドームに、7本の飛び梁を設け、構造的、かつデザイン的にアクセントをつけている
あっ、そうそう、これを書かなければならなかった。
改修工事をしていて分かったらしいが、音響効果を上げるために壁に「藁」や「おがくず」を詰めていたのである。
これは、面白い!
明治期の音響設計として、涙ぐましい努力の跡が垣間見られる。
滝廉太郎も山田耕筰も三浦環も藤山一郎も水原弘も田端義男もカルメン・マキも。……
みんな「藁」で大きくなったのだ。(出鱈目言ってます)
いや、「藁」といえばやっぱりこの人、三橋美智也を忘れてはなるまい。
わぁ~ら~にぃ~まみれてよぉ~♪(藁)
今日は座布団はもらえないなぁ~。
旧東京音楽学校奏楽堂・エントランス
外観
滝廉太郎像
煙突
コンサートホール
階段室
藁
おがくず
東京芸大音楽部のお嬢さん