■国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)■ 2006年01月28日
日本のいちばん長い日――昭和20年8月15日。
この日、陸軍省の一部幕僚が終戦を延期させようと企て、近衛師団長の森赳(もり・たけし)を殺害する。
守衛隊を欺いて玉音盤を奪おうとするが、東部軍や近衛連隊長の同調を得られず失敗に終わる。
かくして、玉音放送はめでたく流され、以後、日本は世界に名だたる金融バブル国として市場を席巻する。――これ、すなわち「宮城沖地震」という。
いや、すいません。
正しくは「宮城(きゅうじょう)事件」と言いました。(笑)
その血なまぐさい歴史的事件の表舞台となったのが、この建物。
旧近衛師団司令部(北の丸公園)。
明治43年(1910)竣工。
煉瓦造2F建て。
設計は、陸軍技師の田村鎮である。
戦後は皇宮警察が引き継いだが、昭和40年ごろは廃屋同然であったという。
昭和47年、国の重要文化財に指定され、国立近代美術館工芸館として再利用されている。
歴史の証言者である。
いや、物言わぬ証言者!
関係者は余り言って欲しく無いようで、中は随分とリフォームされております。(笑)
本格的である。
本格的なゴシック風(?)建築である。(笑)
小生は本来、本格は余り好きでは無い。
「いや、知ってるよ!」
と、どこからか聞こえてきそうだが、改めて言っておく。
でもこの建物は違う。
素敵である!
威厳がある!
かっこいいのである!!
外部は、基壇部に花崗岩を用い、チューダーアーチは白の大理石。
なんとも、赤煉瓦との色彩的バランスがいいのだ。
開口部も大理石のマグサを添えて、重厚感を醸し出している。
1Fも2Fも同じテーストで、実に偉そうなデザインだ。(笑)
お役柄、どうしたって権威主義になる。
教会のような尖塔が聳えるが、どうやらこれも一役買っているようだ。
ぺディメントにある白い円形部は、当初「菊の御紋」のメダイヨンが飾られていたらしい。
左右には星と櫻の近衛師団の旗章がはまっていたという。
終戦直後、連合軍の没収を恐れ誰かが持ち出したとある。
それっきり、行方不明。
まさか、連合軍に売り払って、小金を儲けた奴でもいるのか。(笑)
内部は、一部のみ既存部分が残っている。
階段室とホール。
展示室関連は、現代風の内装に納まっている。
因みに、展示品に四谷シモンの人形がおいてあった。
常設品だそうである。
権威主義の中の四谷シモン。
まあ、違和感があると言えば、違和感である。(笑)
国立近代美術館工芸館・正面
全景
エントランスアップ
右翼部アップ
階段ホール
シャンデリアと窓
玄関