Isidora’s Page
建築日誌
■日本銀行本店(旧館)■    2006年03月05日

「そんなんじゃ 日本一になれないわ!」
と、貴女が言ったから
3月1日は 断酒断念記念日。

そうです。
とうとう小生は禁を犯してしまいました。
そうなのです。
ついに小生は戒めを破ってしまいました。
3月1日、小生は約5ヶ月ぶりにお酒を飲みました。
ちょっとだけです。
ほんの一杯だけなのです。(いや、二杯かな?)
それでも、確かにアルコールを摂取いたしました。
ワインとシャンパンです。
初めてお酒を飲んだ時のように、心臓が高鳴りました。
目の前のご婦人が、カトリーヌ・ドヌーヴのように見えました。
久しぶりに飲む酒は、幻覚作用を及ぼすものと、小生は臨床実験で実感したのでございます。(笑)

このところ、ストレスと各種検査(仕事)で、てんやわんやの毎日が続いております。
日記も滞っておりました。
反省すべきところは、反省し……と、某野党の節回しを毎日繰り返しております。
今日は一日寝ておりました。
で、久しぶりなので、誰でも知っている日本一有名な建築を紹介したいと思います。
「日本銀行本店」
お札にも印刷されてある、あれ? ない! もしかして消えてしまった?
5千円札にも千円札にも。……
一万円札は?――と財布を捜してみたのだが、一万円札が見当たらない。
もう、こんなときに。(いや、いつも一万円札なんてありません/笑)
で、ネットで調べて確認した。
そうだ。そうだったのだ!
聖徳太子の5千円札と伊藤博文の千円札。
これらのお札の裏側に印刷されているのは、紛れも無い日本銀行本店のその雄姿。
そうかぁ~。もう随分前になくなってしまっていたのだな。
建築なんてものは、一度取り壊されてしまうと、もうどこに何があったのか思い出せないものなのですねぇ~。(いえ、日銀本店はまだありますが……)


日本銀行本店。
竣工は明治29年(1896)。
石造・レンガ造、地上3F、地下1F。
設計は、日本建築界のボス、辰野金吾である。

辰野金吾は、工部大学校造家学科第一回生四天王の一人である。
コンドル先生のあとを継ぎ、明治建築界最大の実力者として権力の頂点に君臨した。
それまで、日本における国家プロジェクト建築のほとんどは、コンドルを始め外国人お雇い建築家の手になるものばかりであった。
そして、その禁を破ったのが辰野金吾なのである。(小生の断酒どころではありません)
辰野は、建設に先立ち一年間、欧米諸国の銀行を視察する。
ロンドンではコンドルの師であるバージェス事務所へ行って相談を受け、帰国後一年をかけて設計をまとめる。
足掛け9年のプロジェクトである。(どうも計算が合いませんが/笑)
外観や管理運営システムは、ベルギー国立銀行をモデルにしたと言う。
当時流行のビクトリア朝様式は採用せず、全体的にはバロックを基調としている。
イタリア後期ルネサンスの建築家、パラディオの古典主義に倣った「パラディアニズム」に近いと鈴木博之は指摘しているそうだが、その辺の違いはよく分からない。
ただ、バロックの雄大さは感じられず、せっかくドームがあるにもかかわらず存在感が薄い。
当初からデザインが硬く、堅固過ぎて、辰野堅固と馬鹿にされていたらしい。(笑)
これは、普段は失敗しないのだけれど、オリンピックでは失敗してしまうと言うあれと同じである。(笑)
日本人による初の本格的模倣様式建築の限界と、辰野のデザイン力の弱さを示したものである。
気の毒だが、遅れてデビューする片山東熊のデザイン力にはかなわない。

いずれにしても日本銀行本店は、日本における最高のモニュメンタルな建築である。
竣工日である3月22日を、辰野家の記念日としたらしい。
3月1日は小生の断酒断念記念日。
これを忘れても、辰野家の記念日は、どうか皆さん覚えておいてください。(笑)

日本銀行本店(旧館) 
日本銀行本店(旧館)・外観(その1)

玄関見上げ 
玄関見上げ

側面ファサード 
側面ファサード

バロック風曲面デザイン
バロック風曲面デザイン

堅固なファサード
堅固なファサード