■三越本店■ 2006年04月14日
阪神タイガースが、阪急タイガースになるかもしれない?
と、昨日ニュースでやっていた。
阪急といえば、ブレーブスではなかったか? と、怪しい記憶をたどってみる。
大洋はホエールズ。中日はドラゴンズ。
確か左門豊作はホエールズにいて、花形満はタイガースだった。
中日にはアームストロング・オズマがいた。
で、星一徹は中日の監督をやっていたはず。(笑)
と、小生には野球の知識はさっぱりない。
あっても昔の記憶だけで、ジャイアンツには柴田選手がいたということや、王選手は一本足打法で、太田投手はグリコのCMに出ていたことくらいしか知らない。
いや、川上監督は、戦前に星一徹とチームメイトであったことも知っている。
あと、あと、……
沢村栄治は、川向こうの火災報知機に、石を投げて火事を知らせたというエピソードも知っている。
いや、違った。
これは飛雄馬で、沢村投手は川向こうの敵地に、手榴弾を投げてそれが届いた。
というエピソードだったかな。(笑)
こんなくらいである。(笑)
あやぴ☆彡さんは、家族でユニホームを来て応援するほどのタイガースファンである。
確か乱蔓さんも、虎の耳をつけて応援に出かけるほどの虎ファンであるはずだ。
スガジーさんからも、いつも野球観戦のメールを頂く。
因みに、一塁コーチ並木さんは、欽ちゃんチームで二塁コーチをしています。(ってウソ!)
で、阪急タイガースのことであった。
「野球は巨人! 司会は巨泉!」時代のことしか知らないので、それがどれほど大変なことなのか小生にはわからない。
この頃は「ミユキ野球教室」という番組を何とはなしに見させられていた。
♪ 服地はミユキ
ミユキ~、ミユキテックス!
ミユキ~、ファンシーテックス ♪
なんて歌が頭から離れない。(笑)
思い出したくないが、確か、大阪時代のことを思い出すと、阪急はこげ茶色の電車で自動改札口の入口がちょこっと曲がっていた。
「母さん、あの曲がった改札口は、今ごろどうなっているんでしょうね?」 と、なぜか西條八十風に問いかけてみる。(笑)
話がそれた。
いや、はじめから逸れている。(笑)
三越本店のことを書こうとして、ここまで引っ張ってしまった。
ここからが本題でありますが、面倒くさくなったので適当に切上げます。(笑)
昭和2年(1927)竣工。
設計・施工とも横河工務所である。
三信ビルと同じだが、設計は横河民輔が担当した模様。
SRC造、7F建て、B1F。
超デラックスなデパートメントストアである。
三越といえば、何といってもライオン像である。
大正3年に、日本初の本格的百貨店としてルネッサンス様式、鉄筋5階建ての新店舗となった時(これも民輔の設計)、当時、支配人だった日比翁助のアイデアで、二頭のライオン像が設置されたのがその始まりだという。
この支配人、ライオン好きが高じて、息子に「雷音」という名前をつけたという。
もちろん映画は、「ガオー」で始まるMGMしか見ない。(ウソ)
そうだ、ライオンがいけなかったのだ。
これを見て、枕に阪神タイガースが思い浮かんだ。
でも、タイガースならば虎である。
ライオンは西武である。(笑)
三越本店・全景
ペントハウスが見える
玄関アップ(その1)
玄関アップ(その2)
ライオン像
見上げ