Isidora’s Page
建築日誌
■野村証券本店(旧日本橋野村ビル)■    2006年04月29日

日本橋に、もう一つ軍艦ビルがある。
三越から日本橋へと向かう途中、首都高の高架と共にやおら軍艦のマストのようなシンボルを乗せた、実に威圧的な建物が見えてくる。
これが、泣く子も黙る野村証券ビルである。
三菱倉庫と同じく、昭和5年(1930)の竣工。
戦前の日本橋界隈だから、「水に浮かぶ軍艦」という安易で勇ましい発想は、当時の市民に親しみと勇気と希望を与えたに違いない。(笑)
いや、とにかく帝国主義的なデザインなのである。
さすがに瓦屋根は架けられなかったが、あと5年も竣工が遅れていたら、九段会館のように帝冠様式になっていたかも知れない。(笑)

設計は大阪の安井武雄である。
現安井設計の創設者。
日本橋を挟んで、筋向いには辰野金吾の「大栄不動産ビル」があった。(現在は普通のビルに建替えられております)
とにもかくにもこのビルは、安井の辰野への熱い挑戦であった。(笑)

SRC造、7F建て。
1Fは、五島産の砂岩貼りとし、2~6Fはタペストリータイル、最上部は白いプラスター塗りの曲面コーナー。
上層部の蛇腹には、がんぶり瓦を使って、東洋的な不思議なアクセントを加えている。
これは、辰野のフリークラシック洋式に対する痛烈な批判なのである。
軍配は、安井にあがった。
いや、お相撲を取っていたかどうかは定かではありませんが。(笑)

預金証書や、有価証券を保管しなければならないという機能から、とにかく頑強なイメージとそれに伴う構造が必要であった。
柱には、1本あたり18トンと言う巨大な鉄骨支柱が採用されているという。
竣工当時から「軍艦」と言われてきた。
すぐ近くの三菱倉庫が「軍艦」ではなく、あくまでも「豪華客船」のイメージを作ろうとしたのも無理も無い。(笑)
それかあらぬか、戦後はGHQに接収され、「リバービューホテル」として、アメリカ夫人や仕官の宿舎にあてられた。

♪ ホテルはリバーサイド 

と井上揚水が歌ったのは、戦争を忘れて、随分経った頃の話である。(笑)

野村証券本店(旧日本橋野村ビル) 
野村証券本店(旧日本橋野村ビル)正面ファサード

側面(その1) 
側面(その1)

側面(その2) 
側面(その2)

新館(旧館を継承したデザイン)
新館(旧館を継承したデザイン)