■増上寺■ 2006年05月20日
♪ しょっ しょっ しょうじょう寺 しょうじょう寺の庭は
つっ つっ 月夜だ みな出てこいこいこいっ!
ご存知、「しょうじょう寺の狸囃子」である。
作詞は野口雨情、作曲は中山晋平。
小生も幼少の頃は、幼稚園のお遊戯でお腹をぽんぽこ叩いてこんな歌を歌ったものだ。
あの頃はほんと、可愛かったなぁ~。
……なんて、ウソです。
小生は貧乏で幼稚園などには通っていません。(笑)
このしょうじょう寺、漢字で書くと「証城寺」と書く。
これにはちょっとした逸話がある。
木更津町長より依頼された野口雨情は、証城寺の狸ばやしをテーマに童謡を書いたが、これが件の和尚さんからクレームが入ったのだ。
「わしゃ、狸と一緒に腹鼓などせんわい!」
雨情はすかさず反論した。
「あなたがやったとは言っていない。しかも、詩人は自由だ!」
どこまで本当かどうか定かではないが、実際に寺で狸を飼っていたことは確かなようだ。
しかも、なぜに?(笑)
で、この「しょうじょう寺」、他に「勝常寺」だとか「処女寺」なんて説もある。
そして、港区芝の「増上寺」(ぞうじょうじ)こそが、実は本当の「しょうじょう寺」である……とする風説もある。
風説だから、流れ旅である。
いや、風説だからあてにはならない。(笑)
増上寺。
港区芝公園内。
浄土宗鎮西派大本山で、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれる。
徳川家の菩提寺として寛永寺とともに有名であるが、徳川家により新たに建立された寛永寺、元和8年(1622年)よりはずっと歴史が古いようだ。
因みに寛永寺には、四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の墓がある。
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂。
初代家康は日光東照宮、三代家光は日光輪王寺、十五代慶喜は寛永寺の飛び地、谷中霊園にそれぞれ眠っている。
増上寺-寛永寺、偶数・奇数説はどうやらないようだ。(笑)
東京タワーのすぐ下の寺である。
大殿は昭和49年(1974)建立。
タワーとのコントラストが外国人に大受けである。(笑)
圧巻は三解脱門。
元和8年(1623)建立。
三戸楼門、入母屋造、朱漆塗り。
2階には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されていると言う。
三解脱門とは三つの煩悩「(むさぼり)、(いかり)、(おろかさ)」を解脱する門だという。
煩悩の数は百八つあるらしいから、これを潜り抜けてもまだ百五つも残っているなぁ~。
などと考えながら、境内のレストランで「おばんざい定食」をむさぼり食らうのであった。
ああ、それにしても思わず腹鼓をしたくなる腹だ。(笑)
三解脱門全景
火頭窓
大殿と東京タワー
近景
見上げ(斗きょう)
煩悩をそそるユニバーサルデザイン(乳金具)
鐘楼堂
西向観音
お地蔵さん