■京都市美術館(旧大礼記念京都美術館)■ 2006年07月23日
昭和天皇が、靖国合祀の問題で「不快感」をあらわにしていた。
という報道が波紋を呼んでいる。
いわゆる、富田メモ。
「この時期になぜ?」という憶測も飛び交う中、福田が総裁選立候補を断念した。
ああ、これであの安倍が次期総理大臣になるのだろうか?
と思えば、是が非でも阻止したくなる気分である。(笑)
安倍以外なら誰でもいい。
いっそ、爆笑問題の太田にでもなってくれれば、「人気だけで代表を選んではいけない」と、国民は切実に思い知らされるはずなのだが。……(笑)
京都市美術館。
槇文彦の京都国立近代美術館のまん前に建つ。
一目で分かる「帝冠様式」で、惚れ惚れするくらい右よりな建物である。(笑)
竣工は昭和8年(1933)。
設計は前田健二郎+京都市建築課。
RC造2F建て。
施工は清水組である。
この建物、昭和天皇の即位大典を記念して設置された実にありがたい建物なのである。
設計に当たっては「日本趣味ヲ基調ニスルコト」と言う条件のもとにコンペが開催された。
当選案は、「コンペの前健さん」の異名を持つ、前田健二郎のデザイン。
なんと、まあ、素晴らしい「日本趣味」である。(笑)
西洋の建物に、日本風の瓦屋根を置いただけの「帝冠様式」。
軍服に日本刀をさげた軍人のようで、当時としてはもっともありがたく、厳かで、最高に「ナウイ」デザインであったのだ。(笑)
この前田健二郎、当時、数々のコンペに参加し常に上位にいた秀才なのである。
コンペに勝つためには、イデオロギーを持ってはいけない!
如何に忠実に審査委員の趣旨に見合うことが出来るか。!
己の信念を持ってコンペにのぞむなどもってのほかである!
そうやって、帝冠様式のほか、インターナショナル、クラシック、表現主義と、さまざまな相反する様式の建物を手がけてきた。(笑)
「負ければ賊軍」、昭和6年、帝室博物館コンペに落選するとこを覚悟で近代建築を明示した前川國男は嗚咽した。
ああ、「私もやっぱり帝冠様式にして置けばよかった!」(いや、うそです)
しかしながら、前田はコンペに一等入選しておきながら、現実化しないという苦い経験も持っている。
伊東忠太の「東京都立慰霊堂」がそれである。
京都市美術館は、その巻き返しに成功した前田の記念碑的な作品なのである。
今でも、そのデザインは、強烈なインパクトを放つ。
果たして、昭和天皇はこのデザインを見て、不快感を表わさなかったのだろうか?(笑)
京都市美術館(旧大礼記念京都美術館)・正面
やや横向きアングル
側面
玄関アップ(その1)
玄関アップ(その2)