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建築日誌
■♪京都先斗町に降る雪も~(先斗町歌舞練場・先斗町のお茶屋)■  2006年07月24日

って、まだ梅雨明けもしてませんので、雪は降りませんが。……(笑)

なんと、欽ちゃん球団が解散宣言を撤回したと言う。
わずか3日間で、前言取り消し。

かいさーん!
……なしよ。(どてっ)

という、欽ちゃんお得意のギャグが思い浮かぶ。
このギャグ、すぐに思いつくお方はすでに40代。(笑)


さて、京都編もネタ切れなので、今日で解散!
いや、終了。
最後は、小生の大好きな先斗町で〆たい。
先斗町は、小生の大阪孤独時代、寂しいこころを癒してくれた重要なスポットである。
特に、すき焼き屋でしゃぶしゃぶを食べるのが大好きであった。
しゃぶしゃぶ屋のしゃぶしゃぶよりも、すき焼き屋のしゃぶしゃぶの方が断然旨い!
これは小生の持論である。(笑)

先斗町に行くと、「鴨川をどり」という看板を良く見かけるが、このおどり、実は一度も見たことはない。
浅草のカーニバルか、はたまた高知のよさこい踊りに似たものか?
と思って調べてみたら、なんと舞妓さんの舞踏公演であるという。
明治5年(1872年)東京遷都後の京都の繁栄を願って開かれた第1回京都博覧会の附博覧として、観光客誘致の一助として創演されたもの。
豪華絢爛、由緒ある「をどり」なのである。

この「鴨川をどり」が開かれる会場が、「先斗町歌舞練場」なのである。
先斗町の三条通り側の端に建っている。
竣工は昭和2年(1927)。
設計は木村得三郎(大林組)。
施工は清水組。うそ、もちろん大林組である。(笑)
木村は、劇場建築の名手と言われた大林組の設計屋である。

デザインはライト風といわれるが、スクラッチタイルとなまこ壁をミックスした田舎臭いデザインである。
屋根瓦に、なにやら魔よけみたいなものが乗っかっている。(笑)


もう一つおまけ。
こちらはバブル絶頂期のポストモダニズムな建築。(笑)
「先斗町のお茶屋」と呼ばれております。
設計はターカー・マッシンこと、高松伸。(注:アーサー・マッケンをもじった朝松健を真似ています/笑)
竣工は昭和57年(1982)。
青春時代の金字塔です。
現在は使いづらいとの理由で(風のうわさ)、1F部分が引き戸に改修されております。(笑)
写真では見えないけれど、建物のTOP部分が伊東忠太ぽいのです。

では、これにて京都編、終了!
皆様、ご声援ありがとうございました。
またの機会をお楽しみに。
いや、「……なしよ。」は付きませんから。(笑)

先斗町歌舞練場外観(その1) 
先斗町歌舞練場外観(その1)

先斗町歌舞練場外観(その2)
先斗町歌舞練場外観(その2)

先斗町歌舞練場外観(その3) 
先斗町歌舞練場外観(その3)

屋根の魔よけ? 
屋根の魔よけ?

先斗町のお茶屋 
先斗町のお茶屋