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建築日誌
■築地本願寺■    2006年08月02日

ちょいと築地へ出る用事があった。
しばらく来ないうちに、このあたりも随分変わってしまった。
大江戸線が開通して、「築地市場」なる駅なんぞも出来ている。
もう10年以上も足を運んでいないだろうか?
いや、そんなことはない。
せいぜい、4、5年来ていないだけだろう。

深い深い大江戸線の駅から一歩外へ出ると、はて、どこを歩いているのか分からない。
晴海通りまで辿り着き、ははぁ~、ここだったのかとようやくわかる。

昔は、晴海通りと新大橋通りの角へ来ると、あの異様なフォルムがすぐに見えたものだが、今ではなにやらおしゃれな擁壁が立ちはだかって本願寺が見えない。
まさか、なくなっているのではないか……?
そんな心配をよそに、インド寺院風の奇妙奇天烈なお寺さんは昔のままにちゃんと存在してありました。


築地本願寺。
正式には、浄土真宗本願寺派本願寺築地別院。
なんのことはない、西本願寺の別院なのである。
ご本尊は、阿弥陀如来。
阿弥陀様は、もともとインドのお方だろうから、日本式の建物よりもこっちの方が落ち着くのであろうか?(笑)
昭和9年(1934)竣工。
設計は、われらが妖怪建築博士、伊東忠太。
施工は松井組。
SRC造、一部RC造。2F建て。地下1F。

真宗のお寺なのに、ここには山門がない。
しかも、どこをどう見てもおかしな外観デザインである。
インド人もびっくり!
いかに仏教がインドから生まれたとは言え、ここまで原点回帰しなくてもよさそうなものである。

それと言うのも、この寺の発案者は、西本願寺第二十二世宗主、大谷光瑞その人だからである。
稀代の奇人、いや、偉人。(?)
江戸川乱歩のパノラマ島奇談を地で行った、前代未聞の変わり者である。(笑)

経典研究のため梵語、漢文、英語、ドイツ語などのほか、博物学、地理、歴史、工学、天文学など広範な分野をほとんど独学で修得する。
3年間イギリスに留学。
帰途の1902年(明治35)に4人の随員をつれてロシア経由でタリム盆地のカシュガルに入る。
いわゆる、これが東トゥルケスタンに展開された大谷探検隊の第1回遠征である。(伊東忠太とも、偶然遭遇しているらしい)

仏教が、中国経由のインド発の宗教であることを重んじ、とにかく原点回帰に力を注いだ。
僧侶の食事は、野菜カレーしか許さなかったという徹底振り。(うそです/笑)
そうして、建築界の変人・伊東忠太と手を組んで完成したのが、築地本願寺なのであった。
奇人と変人が手を組めば怖いものはない。(笑)
檀家の不安もよそに、世にも珍しいインド風寺院建築が誕生したのである。

西本願寺 伝道院を参考にしてください。

築地本願寺 
築地本願寺・正面見上げ

正面階段
正面階段

入口見上げ 
入口見上げ

階段見上げ 
階段見上げ

 
和菓子の「落雁」そっくりの庇

インドストゥーパ風 
インドストゥーパ風

羽根の生えた獅子の尻尾 
羽根の生えた獅子の尻尾

巴印の大太鼓(?) 
巴印の大太鼓(?)