Isidora’s Page
建築日誌
■東京駅だよ、おっかさん!■    2006年08月30日

先日、とあるお嬢さんと東京駅で待ち合わせをした。
お嬢さんは高貴なお方で「こんな雑踏の中で待ち合わせをしても大丈夫だろうか?」
という一抹の不安を抱きながらも、とにかく丸の内南口で待ち合わせすることとした。

約束の時間が来ても現われない。
「うーん、やっぱり駅なんかで待ち合わせするんじゃなかった。」
15分過ぎても現われない。
「どこかで迷っているのだろうか?」
20分過ぎても現われない。
「今頃警察に保護でもされているのだろうか?」
30分過ぎても現われない。
「もしかして、悪い奴に誘拐されたのだろうか? 滅多に外出なんかしない上品なお嬢さんなんだから……」
と、心配の種が尽きない。

40分が過ぎた。
「ん? もしかして……」
嫌な予感がした。
「もしかして北口で待っているのではないだろうか?」
東京駅は、丸の内南口と北口では、直線距離にして300メートル以上も離れている。
「下手に待ち合せ場所を離れない方がいい……」
と思いながらも、足早に北口へ向かった。

すると……案の定お嬢様は北口で「青いハンカチ」を握り締め、べそをかきながら小生のことを待っていた。
「バカ、バカ、バカ……」

バカバカバカと殴られたかと思ったら、目が覚めた。
びっしょりと寝汗をかいていた。

……ある夜の悪夢の話でした。(笑)


さて、東京駅である。
辰野金吾の東京駅である。
帝都中央停車場の東京駅である。
復元保存を間近に控える東京駅である。
ああ、井沢八郎の東京駅である。(あれは「上野駅」か/笑)

竣工は大正3年(1914)。
設計は辰野葛西建築事務所である。(辰野金吾と葛西萬司が設立)
鉄骨レンガ造2F建て。(戦災前は3F建て)

夢の中でも語られているように、この駅は、南口と北口が随分と離れている。
つまり、とても長い駅舎なのだ。
戦前は、南側ドームが入口専用(向かって右)、北側ドームが出口専用(向かって左)となっていたという。
となると、もちろん中央口は出入り口専用である。(笑)
いや、冗談ではなく、中央口は天皇家専用なのだ。
今でも正面中央口は一般市民立ち入り禁止。(笑)
(中央口の横っちょに、小さな中央口があり、庶民はそこから出入りするのね。)

この平面計画、実は辰野金吾のオリジナルではない。
ドイツ人、エフ・ヴァルツァーの計画が元になっいる。
しかしながら、バルツァーのデザインは、余りにも「外国人が見た日本」的で大笑い。
そこで辰野大先生のお出ましという訳だ。

辰野のデザインは、得意のイギリス・ヴィクトリアン・ゴシック様式(のようだ)。
赤いレンガ造に、白い花崗岩のリブを回した賑々しいデザイン。
このデザイン、辰野が余りにも多用するので「辰野式」とまで言われている。
まあ、今で言う「コンクリート打放し」みたいなもので、その代名詞とされるのは時の権力者、いや、やっぱりやめて置こう。(笑)

もう随分前から、復元工事の話が出ているが、一向に始まる気配がない。
なんでも、もともとの辰野オリジナルデザインに戻すということである。
戦災で、3F部分がなくなったのと、左右のドームをバロック風のいかめしいものに戻すという。
うーん、なんだか無駄遣いのようだが。
いずれにしても復元されれば現在のものは見ることが出来ないから、ここに記念としてアップしておきますね。(写真は、2月に撮影したもの)

東京駅 
東京駅・正面
遠景
遠景
中央口アップ 
中央口アップ
中央口車寄せ 
中央口車寄せ
外観(その1) 
外観(その1)
外観(その2) 
外観(その2)
外観(その3) 
外観(その3)
北口ドーム 
北口ドーム
南口ドーム 
南口ドーム
女性に親切なおまわりさん 
女性に親切なおまわりさん
名残惜しそうなおまわりさん 
名残惜しそうなおまわりさん