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建築日誌
■旧亀井邸(鷲見家住宅)■    2007年01月13日

元町カトリック教会のすぐ隣、ちょうど異教四天王を見渡せる場所に、セセッション風の瀟洒な住宅が建っている。
ピンク色の外壁で、せり出したボウ・ウインドウが実に乙女チックな2階建て住宅。
「かわいい~!」
「おしゃれ~!」
なんて言葉が飛び交う、なんともイチゴ味な建物である。(笑)
何を隠そう、これが旧亀井邸。(いや、誰も隠してはおりませんが/笑)
評論家・亀井勝一郎の父、函館貯蓄銀行支配人・亀井嘉一郎が、大火で自邸を消失後、新たに建築した建物である。

すぐ向かいには、亀井勝一郎生誕の地を示す石碑がある。
幼少の頃の勝一郎は、早くもここで異文化交流を体験して育ったのだ。
「世界中の宗教がわたしの家を中心に集まっていた。」
と亀井は豪語している。(笑)
また「幼いわたしは宗教的コスモポリタンであった」とも回想している。(注:宗教的ナポリタンではございませんので、あしからず/笑)
面白いことに、四歳年上の久生十蘭(明治36年生)もこの近所で育っている。
厳格な勝一郎の父は、「決しておとなりの十蘭ちゃんの様な不良になるんじゃないよ。」
と、いつも勝一郎に言い聞かせていたというのだ。(笑)
確かに亀井は不良にはならなかったが、文学的才能は圧倒的に久生に軍配が上がる。
宗男は亀井勝一郎よりも、不良の久生十蘭を何倍も尊敬するのになぁ~。(笑)


旧亀井邸。
竣工は大正8年(1919)。
木造2F建て。
施工者は不詳。
設計は、なんと関根要太郎である。
関根要太郎は、三橋四郎の事務所を経て、日本勧業会社建築部に移籍、ここで多くの銀行建築を手がける。
大正9年に弟・山中節治と共に銀座に設計事務所を設立。
現存しないが、京王閣などのインターナショナルな娯楽施設も手がけるなど、いち早くセセッションを取り入れた分離派系列の建築家として有名なのである。

切妻屋根をファサードにしながら、破風を見せないでパラペットを立ち上げるところが、なんともセセッションなんです~。(すげ~!)
フリル模様(?)の笠木で装飾され、外壁には大胆にも二層三連のボウ・ウインドウをせり出すなど、当時の住宅としては最先端のデザインである。
いや、今でもこれほど垢抜けたデザインはそう簡単に真似できないだろう。
地元では「めんこい建物、めんこい建物」と、今でももてはやされている。(笑)
にょきっと突き出た集合煙突にはドーマー窓も設けてあって、かなり手が込んでいる。
玄関庇のデザインはやや和風であるが、このコントラストがまた宗男にはたまらないのだなぁ~。(笑)
小生もこんな家で育ったならば、今頃世界を股にかけるコスモポリタンなエリートになっていただろうか?
いやいや、どう転んでも、ただのナポリタン好きのおやじのままだろうなぁ~。(笑)

旧亀井邸(鷲見家住宅) 
旧亀井邸(鷲見家住宅)

旧亀井邸

旧亀井邸 

旧亀井邸 

旧亀井邸