赤墓をさらに上に登っていくと、まもなく「コモモ・ハウス」が現れる。
この「コモモ・ハウス」、ちょっと前までは荒れ果てた廃墟同然の施設だったが、多くのコモモファンの努力によって、最近喫茶店としてリニューアルされた。
今では、盆と正月には全国から大勢のコモモファンが集まる、コモモの聖地となっている。
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……というのは、ピンクな嘘です。(コモモ語では真っ赤な嘘のことをこう言う)
ここは「コモモ・ハウス」ではありません。(笑)
盆や正月にも、ここにコモモは集まりません。
嘘をついてごめんなさい。(ぺこり)
反則を指示したのは間違いありません。
誰が何と言っても、おやじは世界一の親父やけん……
ん?(笑)
でも、喫茶店にリニューアルされたことは本当です。
その名は「ティーショップ 夕日」。
西日(だけ)がふんだんに入る、コモモ色した可愛い喫茶店です。(笑)
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冗談はさておき、見事なピンク色である。
これが、明治18年に竣工したと誰が想像できるだろうか?
旧函館検疫所台町措置場。(旧函館消毒所事務所)
通称、コモモ・ハウス。
だから、違うって。(笑)
明治18年(1885)竣工。
木造平屋建て。
設計は、当時の内務省である。
施工は直営。
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函館における検疫の歴史は古い。
明治10年(1877)、コレラの侵入を防ぐために「検疫所取扱事務所」が臨時に設けられたのがその始まりだという。
昔は、コレラのことを「コロリ」と呼んでいたが、決して「ケロリ」とは呼ばれなかったと、宗男のメモには記してあります。(笑)
明治18年、主要6港である函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟に消毒所が建設されることになり、ここはそのひとつ。
現在、当時の建物はほとんど残っておらず、明治期における初期港湾防疫施設の一つとして、きわめて重要な遺構でもある。
玄関周りの柱頭飾りや破風などは改修されていて昔の面影がないのが残念である。
写真(昔の)を見る限り、簡素ではあるが、洋風建築を真似ようとした擬洋風建築の先駆け的存在といってよい。
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何といっても廊下を下屋として付設し、全面にガラス引き戸を外付けにした縁側形式が圧巻である。
素晴らしい!
おお! ビューティフル!!
コモモ語では、「おされ」である。(笑)
必要な時には、廊下全面が解放廊下となる。
今で言う、オープンテラスの先駆けであり、スターバックスの「歩道テラス」はここを参考にしたともっぱらの噂である。(いや、勝手に想像してます)
でも寒いので、ほとんど解放されることは無いようですが。……(笑)
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内部は、建物の性格上極めて質素である。
床、壁、天井とも羽目板の表わしであるが、カラフルな外部と大人しい内部のコントラストが、これまたかっこいい!!
喫茶店となっても、ほとんど内部の間取りは変わらないようだ。
窓枠の何段にもなった重厚な額縁モールが、唯一装飾的なものである。
シンプルである。
しかし、このほうが、窓からの景色も、数倍美しく見えるというものだ。
柱と梁の隅にある斜めの材は「方杖(ほうづえ)」というもの。
これは、外壁がオープンになっているために強度が弱く、それを補うために設けられたもの。
かつて、桃井かおりは「もう、頬杖はつかない」と言ったが、ここでは方杖を外すと建物が壊れるので、ご注意ください。(笑)
【所在地】北海道函館市船見町25-18 グーグルマップ
窓からローマは見えませんが、上磯が見えます。
装飾もほとんどなく、窓枠の額縁モールが唯一装飾的なもの。
お墓に囲まれた草原の小さなコモモハウス(笑)