Isidora’s Page
建築日誌
■高龍寺の防火塀■    2007年11月14日

「隣の家に、囲いができたんだってねぇ~。」
「ヘぇ~。」
……すいません。
最近、親父ギャグが枯渇してきました。(笑)

ところでこのギャグ、囲いのことをへえ~(塀)と換言して、なおかつ「塀」という名詞が「へえ~」という感嘆詞と同音であることに着目し、反復される同義語から想起される軽妙洒脱な感覚に興ずる、実に巧妙なギャグなのである。
って、そんな大げさな説明はいりませんね。(笑)
ちなみに「囲い」と「塀」を逆転させてみれば。……
「隣の家に、塀ができたんだってねぇ~。」
「かっこい~」
……うーん。
やっぱり、逆(ギャク)はギャグにはなりませんのでご注意ください。(笑)

さて、ここは刑務所の煉瓦塀ではございません。
れっきとした、お寺さんの煉瓦塀なのである。
お寺さんに煉瓦塀?
と、いぶかるお方もおりましょうが(なぜか、丁寧語)、とにもかくにもここはお寺さんの煉瓦塀なのである。
通常、お寺にある塀垣は和風で、木造か、石造か、土造か、竹垣か、生け垣か……
と、ヴァリエーションはさまざまなもの、洋風の煉瓦塀は実に珍しい。

ちなみに、塀垣という言葉もあやふやなもので、「塀」と「垣」では建築の世界では意味が違う。
「塀」というのは(wall)であって、一般的に境界の視線を遮り、人や動物の侵入を防ぐもの。
アメリカ人が「hey」と言って誘っても、むやみに中へ入れてはいけないのだ。(笑)
「垣」は(fence)であって、同じく境界上に建ち、視線を遮り、他者の侵入を防ぐもの。
しかし、こちらはその程度がやや低い。
ネットフェンスなどは垣の一種で、侵入は防ぐが視線は丸見えである。
デバガメ(出っ歯の亀さん)は、この垣から覗くことを得意としたとされるが、その話はまた今度……。(笑)
まあ、「塀」も「垣」も、どちらも境界上に建つことは同じだが、言葉の「境界」は実にあやふやなのだ。
ちなみに「庄内ガキ」というカキがあるが、こちらは「垣」ではなく「柿」であるからお間違いなく。

高龍寺、防火塀。
明治43年(1910)竣工。(?)
煉瓦造。
設計・施工は沢田吉平とされる。

高龍寺本堂は、明治33年(1900)の建立で、現存する函館の本格的木造寺院の中では一番古い。
そしてこの煉瓦塀は、明治40年の大火で、金毘羅堂が焼失したことを受けて明治43年に建造されたもの。
が、しかしである。
これには少し謎がある。
トップの写真は、正面から見て左側の煉瓦塀で、これぞまぎれもなくイギリス積みの煉瓦造。
ところが、正面右側の煉瓦塀はフランス積みなのである。
もし、同年に建てられたものならば、なぜに様式を変えたのか?
という疑問が当然残る。
しかも、フランス積みの方には表面の各所に焼け焦げの跡があるらしく、明治40年の大火に遭遇した可能性が高いというのだ。
つまり、正面右側の煉瓦塀は、明治40年以前に建造されたものと推定できる。
フランス積みの遺構は珍しく、明治40年頃には既にイギリス積みが主流になっているから、この説を裏付けるものである。
さて、真相は塀の中。
いや、これを言うなら藪の中でしょう。(笑)
注:フランス積み、イギリス積みの違いについては、こちらを参照願います。

それにしても、グッとくるデザインである。
洋風の煉瓦塀を、見事に和風にさばいている。(笑)
塀の上には「笠木」をつけて、トラピスチヌの煉瓦塀のようなガラスなどは埋め込まない。
いなせである。
伊達である。
そして、この開口部の見事なこと!
唐破風のような、でもってポワロ髭のような奇妙なアーチに、まったく役に立ちそうもないキーストンが据えられている。
この「キーストン」とは、アーチの真ん中にある「かなめ石」のことで、上から「き~すとん!」と落とし入れるところからこの名前がついた。(う、うそですよ~)

【所在地】北海道函館市船見町21-11 グーグルマップ


高龍寺の防火塀 
高龍寺の防火塀・外観その1

高龍寺の防火塀
外観その2

高龍寺の防火塀
外観その3

高龍寺の防火塀
フランス積みの煉瓦塀

高龍寺の防火塀
イギリス積みの煉瓦塀。(物置は関係ありません)

トラピスチヌ修道院 
キーストンが素敵なポワロ鬚のようなアーチ!

幼きイエズスのテレジア

聖ミカエルの像
本堂はご覧の通り。
まさか煉瓦塀の中に、こんな立派な和風のお寺さんが
存在するとは思わなかったでしょう。
どうぞみなさん!
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「へぇ~」「へぇ~」「へぇ~」