Isidora’s Page
建築日誌
■明治神宮宝物殿■    2008年01月06日

 みなさま、あけましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
と、通り一遍のあいさつで始めて見る。(笑)
今年は、諸般の事情により年賀状を書きませんでしたので、これをもって新年のあいさつに代えさせていただきます。
では、これにて失礼いたします。……

って、これじゃあまりにも素っ気ないですね。
失礼しました。(笑)
大した話題もございませんが、5日は恒例の初詣に出かけました。
日本一参拝客が多いという明治神宮でございます。
5日ともなれば人出もまばらと思いきや、地元の八幡様の数百倍は人であふれております。
さぞかし、お賽銭も一杯あふれているのでしょうが、宗男のふところは相変わらず涙で一杯あふれております。(笑)
炊飯器も壊れて、泡があふれて出ています。
恋愛もあふれていればいいのでしょうが、こちらはいつも「あぶれ」てばかりです。(笑)

さて、明治神宮宝物殿である。
これは、明治天皇と昭憲皇太后の遺品や由緒あるお品を陳列する施設。
ハッキリ言って面白くない。(笑)
いや、歴代の天皇の油絵が飾ってあるのだが、これを眺めるのは結構面白かった。
なんと、初代から7代目くらいまではみんな同じ顔で、どう見ても故・阿久悠の顔にしか見えないのだ。
まさか阿久悠をモデルに描いたわけじゃないと思うが、疑われても仕方がないほどよく似ているんだな、これが。(笑)?

明治神宮宝物殿。
大正10年(1921)竣工。
設計は大江新太郎。
施工は長崎橋本組。
SRC造、平屋建て。
そうそう、宝物殿(ほうもつでん)のことを「ほうぶつでん」と読む方がおられますが、これは間違いでございます。
殿方のお宝を「いちもつ」というように、お宝を扱うときは「ぶつ」のではなく「もつ」ようにしてください。
……って、すいません。
正月から下ネタで。(笑)

この建物は、大正4年に設計競技が行われている。
「建物ノ様式ハ宝物殿トシテ必要ナル儀容ヲ保チ社殿トノ調和ヲ失ハザルモノトス」
というのがその設計条件であるが、1等をとった大森喜一案は結局採用されなかった。(笑)
代わりに3等案をベースに、(伊東忠太のもとで)大江新太郎が設計を担当する。
うーむ。
昔からコンペというのは、胡散臭いにおいがプンプンするなぁ~。(笑)
これがその結果である。
わが国古来の高床式校倉(あぜくら)造りを模したものだという。
なんで、鉄骨鉄筋コンクリート構造の校倉造りが必要なのか?
と、根本的な疑問を残す結果になったが、同時に立派に歴史に名を残すわけだから文句は言うまい。(笑)
かくして明治神宮宝物殿は、機能とデザインが乖離した、実に象徴的な建物として誕生したわけである!

設計者の大江新太郎は、日光東照宮の大修理などを手がけた大巨匠。
この家系は建築家のおおえ家系で(←ここ、笑うところ)、御子息の宏、透、修といずれも名のある建築家である。
特に有名なのが大江宏。
弟の大江修は、作品数こそ少ないが、『人生劇場』の作者である尾崎士朗邸の設計を行った人物である。
和風好みで、なかなかマニアックな手の込んだ建築家。
これがまた、かっこいいんだなぁ~♪
ちなみに、ノーベル賞作家の大江健三郎との関係は不明。
もちろん、江頭2:50とも全く無関係である。(笑)
ん?
面白くない?
気の利いた落ちも浮かばないので、新年初めの建築日誌はこのくらいにいたします。

みなさま、どうぞこの一年、あふれんばかりの幸せな年でありますように……?

【所在地】東京都渋谷区代々木神園町1 グーグルマップ


明治神宮宝物殿 
明治神宮宝物殿

明治神宮宝物殿
斜めアングル

明治神宮宝物殿

明治神宮宝物殿

明治神宮宝物殿
側面

明治神宮宝物殿 

明治神宮宝物殿