先日、二十数年振りに川越に出向いた。
荒川を小さな丸木舟で遡り、九十九曲りの舟歌を鼻で歌い、三十里ほどの船酔いの旅。
新河岸川(しんがしがわ)の河岸場で船頭と別れたあと、今度は籠に乗って一時ほど陸路を進む。
「小江戸は難儀じゃのう。」
目をつむりながら門人に語りかける。……
――と、ここで目が覚めた。
はい。
夢でした。(笑)
西武新宿線、特急小江戸号の中の出来事。
☆
石もて追わるるごとく北海道を出てから、宗男が最初に住んだのが埼玉県の志木というところである。
ちなみに道産子の価値観としては、埼玉と東京は同じである。
千葉も東京と同じである。
茨城も同様。
群馬は……
うーん、群馬だけはちょっと離れているような気がするな。
まあ、平たく言って、北海道から見れば本州はすべて「内地」である。
よって関東圏は全て東京なのである。(笑)
☆
高校卒業後、田舎のプレスリーならぬ、田舎の前川國男を目指した宗男は(目指す目標がマニアックでしょう)、一人寝台特急の三階席に揺られて上京した。
「俺ら、東京さ行くだ!」
と、意気込んで東京に来たつもりだが、残念ながらそこは埼玉だった。(笑)
東武東上線、志木駅。
以後、志木には十三年ほど住んだ。
志木は急行も準急も各停も止まる便利な駅である。(各停は当たり前だな)
しかし、池袋へ出るよりは、川越まで下った方が時間的に早かった。
むべなるかな、志木では買えない買い物はよく川越まで出かけて調達した。(川越には赤いカードの丸井があったのだよ)
当時、これを仲間内で「川越詣」と称していた。(笑)
☆
その川越に、二十数年ぶりに出かけて見た。
目的は芋堀りである。
いや、うそ。(笑)
久しぶりに行って、とにかく驚いた。
な、なんとそこは「観光の街」と化していたのだ!
西武新宿線駅から特急も出てるし(でも、がらんとしてるんだよな)、蔵造りの街として整備され、TVでもよく特集されているという。
若者から中年カップルまで、まるで原宿のように人がごった返していた。
む、む、昔は隠れて川越まで行ったのに……(泣)
時代は変わる。
ボブ・ディランではないが、転がる石のように宗男の心は動転した。
ん?
ローリング・ストーンズだったかな?(笑)
☆
さて、「旧カワモク本部事務所棟」である。
この建物、昔は郵便局であった。
現在は、1Fがイタリアンレストラン、2Fがタイ料理のお店となっている。
昼過ぎに到着したので、ここで昼食を取ることにした。
「タイはめでタイ!」というからタイ料理にしようかと迷ったが、やっぱりイタリアンにした。
まあ、最後の写真を見てもらえばご理解いただけるかも。(笑)
☆
旧カワモク本部事務所棟(元六軒町郵便局)
カワモク(川越木材?)は明治創業の材木店で、もともとは銘木材の展示場として建てられたもの。
昭和2年(1927)竣工。
角地部分の設計は志村岩太郎。
施工は森留造(森留吉?)。
森留造(森留吉?)は、川越で多くの住宅の設計・施工をした人物とされる。
設計者の志村岩太郎のことは、まったくわからない。
☆
とにかく、素晴らしいデザインである!
角地を利用したシンボリックな意匠には、まるで工芸品を見るかのような感覚を抱いてしまう。
全体的にスティック・スタイルを基調とし、窓の配列はルネサンス洋式を模している。
鈍角に折れ曲がり、一段高くなったメインファサードには、何とライトを彷彿させる格子模様が使用されているのだ。
小庇の上げ裏まで、格子組のデザインがなされている。
これがまた、スティックスタイルとよく合うんだなぁ~。
古典様式と有機的建築を取り入れた、折衷様式の傑作である!
と、随分評価が高いですが、これほんとにかっこいい建物なんです。
設計者のセンスに、まったく脱帽する。
フランク・ロイド・ライトの「自由学園」が1922年頃の竣工だとして、当時の流行をいち早く取り入れた姿勢にも驚いてしまう。
これは、川越の秘宝、いや至宝ですな。
川越は芋ばかり、いや蔵ばかりとお思いのお方も多いようですが、このような近代建築の傑作も数多くあるのです。
更新遅れ気味ですが、しばらく川越編続けます。
ちなみに、横から見るとこんな具合です。
ねえ、1Fのイタリアンにしたのがよくわかるでしょう?(笑)
【所在地】埼玉県川越市田町5-1 グーグルマップ
旧カワモク本部事務所棟
全景
角地を利用したシンボリックな意匠
ルネサンス洋式の窓の配列
横から見たところ