煉瓦工場は、その後廃れて、
煉瓦工場は、死んでしまった
煉瓦工場の、窓も硝子も、
今は毀れてゐようといふもの
煉瓦工場は、廃れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ
沖の波は、今も鳴るけど
庭の土には、陽が照るけれど
煉瓦工場に、人夫は来ない
煉瓦工場に、僕も行かない
……中原中也 『思い出』 より
☆
おそらく今も続いているのだろうけど、一昔前には「廃墟趣味」が流行した。
書店へ行くと、廃墟に関する書籍が平積みにされていた。
こぞって文学者が寄稿していたり、心霊スポットにでっち上げられ、興味本位で取り上げられたり、エロスを交えた悪趣味としか言いようのない写真集などなど。……
廃墟に惹かれる気持ちは分からないでもない。
と言うよりも、どういう訳だか宗男も心の奥底では廃墟に惹かれたりする。
でも、恐らく「廃墟趣味」の流行とは、無縁の感覚からきているものだろう。
何というのだろうか?
どうも、言葉では表現できない。
☆
宗男は生きている建物が好きである。
ボロボロになっても、雨漏りがしても、地震で倒れそうになっても、必死になって生きていて、少しずつでも生きようとしている建物が好きである。
函館の街は、賑やかな観光スポットに溢れているかと思えば、ちょっと裏道を歩くと、こうした死に体の建物に出会うことがある。
まだあるかな?
と思いつつ、まだ生きていればそれでよし。
でも、大半がまだまだ生きていけるのに、誰かに壊されてしまっている建物が多い。
☆
さて、この建物はもう死んでいますね。(笑)
「お前はすでに死んでいる!」
と、誰かのセリフが浮かんできます。
敗軍の将の勇ましい姿。
あっ、今回はおやじギャグなしね。(笑)