ここでクイズ!
「彼理」または「伯理璽」と書いて、何と読むでしょうか?
(ヒント)黒船に乗ってやって来た、有名なアメリカ人の名前。
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はい。
答えは「ペリー」さんです。
「彼理」と書いてあるんで「カリー」と読んだあなたっ!
「マッカーサー」と答えななかっただけでも優秀です。(笑)
☆
さてこのペリーさん、地元では「ペルリ」と呼ばれていた。(いや、昔のことですが)
いつも唇をペルリ、ペルリと舐めていたから……というのは全くの嘘で、とにかくそう呼ばれていたらしい。(笑)
このペルりが函館にやってきたのは嘉永7年(1854)のこと。
ワン テウ スレム の「亜墨利加一条写」によれば、その時同行した写真師のE・ブラウン・ジュニアが、タゲレオタイプと言われる銀板写真を大いに撮りまくったとある。
これが北海道における写真との初の出会い。
この写真は今も残っていて、松前藩の遠藤又左衛門(とその仲間)の凛々しいお姿が見られる。
これが、現存する最古の日本人被写体銀板である!
……と、されていたのだが。
これを書くにあたって調べたところ、何と2006年に練馬区長の所有する曾祖父の写真が日本最古であるとの記事を目にした。
撮影者は同じく、ペルリ御一行様。
ああ、何たることか!
函館よりも、数ヶ月前に撮られたものなのかっ?
……と、残念がっても仕方ありませんね。(笑)
☆
『旧小林写真館』
竣工は明治40年(1907)。
設計・施工:村木甚三郎。
木造2F建て。
☆
この旧小林写真館、道内の写真館としては現存する最古のもの。
いや、きっとこれは間違いないでしょう。(笑)
神戸出身の写真師・小林健蔵(1876~1954)が、明治34年(1901)函館に派遣され、翌年ここで写真館を開業。
明治40年(1907)の大火で焼失し、同年末に再建したものである。
何と、たった3カ月で建てなおされたと言う突貫工事らしい。
しかしその出来栄えは、たぐい稀なき名建築の名を欲しいままとする!
って、ちょっと大げさでしょうかね?(笑)
☆
函館初の写真師と言えば、初代ロシア領事のゴスケヴィッチから写真術を教わった、木津幸吉(1830~1895)その人を忘れてはならない!
いや、まったく聞いたことのない人ですが(笑)、その弟子筋にあたるのが田本研造(1831~1912)である。
こっちは有名な写真師。
その田本研造と、小林健蔵は何かの縁があるのだろうか?
同じ「ケンゾウ」つながりだが、後に袂(たもと=田本)を分かつ。
なんて親父ギャグを考えていましたが、確かな関係は分かりませんでした。(笑)
☆
いかがです?
この建物!
超ハイカラなデザインでございましょう!
前面ファサード2Fにはバルコニーが付いていたようだが、現在はそれは無い。
妻側からみると屋根は「しころ葺き」で、変形バタフライのように面白い形をしている。
ほら、蝶々が羽を広げている感じに見えませんか?
ペディメントの妻飾りも工夫を凝らしており、一見お寺さんの「懸魚」(げぎょ)のようにも見えるが、洋風な槍先のようにも見えるし、何とも不可思議である。
南京下見板の壁に、蛇腹が付いた本格的な擬洋風。(?)
2Fが「写場」となっており「シャバの空気はうめぇなぁ~」とここで主人がため息を漏らした。
と言うのは嘘ですので信じないでくださいね。(笑)
☆
圧巻なのは、この娑婆……いや、写場の屋根が採光用のスラント(傾斜トップライト)で覆われていたと言うこと!
北側屋根がそれだと言うから、看板の見える面の屋根がそれにあたるらしい。
このスカイライトは、昭和29年(1954)の洞爺丸台風の時に破損したので、逆に言えばそれまでは現役だったと言うことだ。
ん?
ちっとも逆を言っておりませんが、とにかく雪国で、屋根全面に硝子が使用されていたと言うのは、何とも奇跡的なことである。(笑)
きっと、雨漏りもしたことでしょうね。
小林健蔵の息子であり、この家に住んでいた小林信男さんの証言によれば、台風の時、その美濃判くらい(B4くらい)の大きさのガラスが130枚くらい吹き飛んできたという。
以来トタン屋根に葺き替えたということだが、この壊れたガラスは縁の下に残してあるとされる。
その縁の下がまたすごい造りで、人が立って歩けるほどの高さがあると言うのだ。
ざっくり言って、この下に地下室があるものと想像してください。(笑)
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健蔵はとにかく新し物好きで、畳の上にストーブを置いて使ったと言われる。
大正4年(1915)に函館に電気が引かれたらしいが、その翌年にはこの建物にも電気を引いたということだ。
施主が奇特なお方ならば、設計・施工者もまた奇特な人物である。
設計・施工の村木甚三郎(1848~1924)は、元々函館の「高龍寺」の建立に新潟からやってきたと言う宮大工出身である。
その後独立して「函館区公会堂」(明治43年、1910)や、「函館市立図書館書庫」(大正5年、1916)などの大建築を息子らとともに手がけた。
この「函館市立図書館書庫」はRC造5F建てで、設計はなんとあの辰野葛西建築事務所である。
お寺さんから、擬洋風、なおかつ鉄筋コンクリート造と、親子そろってのなんでも屋なのである。
☆
この写真館、ずっと前には文房具屋さんであった。
シャッターの奥に店があり、その上には「小林文房具」の看板があったのだ。
その後店を閉め住居となっていたが、去年にはいよいよ空き家となったらしい。
そして今年の夏、地元の写真館を営む谷杉アキラさんにより、谷杉写真館として復元改修された模様である。
(※その時のレポートがYou Tubeで見られますので、ぜひともご覧ください)
何とこの谷杉写真館、田本研造写場五稜郭支店を受け継いだとのこと。
何か運命のいたずらを感じるが……いや、全くそんなことはありませんね。(笑)
なにはともあれ、このように生まれ変わることはうれしい限りである。
建物は使われてこそ、美しく輝くものですから。(笑)
ちなみにNHKアナウンサーの森田美由紀さん、宗男は大ファンなんだよね~? You Tube見てね!
東京から札幌へ転勤したので、もうTVで見られないと悲しんでいたら、こんなところでお目にかかれるとは。
袂(田本)を分けずに済んで、宗男はとってもうれしゅうございます。(笑)
(注:宗男の写真は、すべて2007年1月1日に撮影したもの)
【所在地】北海道函館市大町2-9 グーグルマップ
旧小林写真館・全景
正面
妻側・変形バタフライのような「しころ葺き」
裏側