★神林作品には、素敵な言葉があふれています。その全てを紹介する、というと小説の文章全てを紹介してしまうことになりますので、ここではあえて「これは……」と特に強く感じたフレーズについて引用し、私なりにコメントしています★
★ゆう★大学時代に神林作品に出会い、以来どっぷりとその世界に浸り続けている。気に入った作品はしつこくしつこく読む癖があり、時に一言一句台詞を再現し、家族には、賞賛を越して不気味がられる。
子供のときからの活字中毒者。学生時代は読んでいる本が佳境に入ると、よく電車を乗り過ごして終点まで行っていた。本を読むだけでは飽き足らず、自分で小説も書いている。まだ日の目を見ないが、いつか作家になるという野望を抱いている。
アルカの腕 ALCA's arm
出典:『ライトジーンの遺産』(朝日ソノラマ版ハードカバー)
「……とにもかくにもおれたちはこの世に作り出されたんだ。死ぬまで生きているだろうさ。恨んでもはじまらない。そんなことは、わかってる。だれにでも。わかってはいても、恨みたいときもある。弱気になるときだ。この世は自分のために創られたのではなさそうだ、と感じるときだ」
(菊月虹[キクヅキコウ]p10.上段)
「……なにを考えようと時間は止められないし、元にはもどらん。変容しつづけるのが現実だ。恨んだり、喜んだりできるのが生きているということだ」
(同下段)
上記二つの文章は市警中央署第四課の新入り刑事、タイス・ヴィー(TV)に向かって放った、コウの台詞である。コウ自身が言うように、確かに「なんとも青くさい説教」に聞こえるのだが、人造人間として世の中に産み出されたコウであろうと、いわゆるまともな人間の一人であるTVであろうと、『時間』という共通の機軸に乗っている以上、前に進むことはできても、元には戻れない。神林作品にも繰り返し出てくる「不可逆性」についての考察も、ここには含まれているように感じられる。彼(申大為――シンタイイ)はいずれ、馬鹿に見える仮面をとり、マシンであることをやめ、本性を現して変身するのではないかという気がする。 あれも一匹の怪物だ。人間はみな程度の差こそあれ、そうなのだ。
(コウ、p24.上段~下段)
申大為というのはTVの上司であり、第四課の課長である。「労多くして実り少ない」事件を扱うことが多いが、彼は自分が手を付けた事件は必ず解決し、後に問題を残さない。手段は荒っぽいが捜査計画は精密。誰からも攻撃を受けないように行動する男である。 彼の心は、サイファ(普通の人間にはない超能力を持った人間)であるコウにも、容易には掴めない。無論、人間は誰しも何らかの仮面を着けているものなのかもしれない。申大為だけではない。良く知っているつもりの友人でさえ、ある日被っている仮面を捨て、全く知らない他人へと変貌することもある。そう、いつの日か、あなただって、知らない自分が仮面の下から覗くかもしれないのだ。それは見るも恐ろしい「怪物」の本性かもしれない。
罪状はあとからいくらでもつく。権力というのはそういうものだ。
(コウ、p28.上段~下段)
大げさな言いようだと、言い切れるだろうか?実際に過去から現在に至るまで、公式発表では真実として伝えられた数多くの犯罪が、後に「冤罪」や「別件逮捕」等、全く逆のものとして明るみになることがある。
この独白はコウと申大為の関係性を語る中で出てくる台詞だ。無罪のものを有罪にできる、それが「権力」であり、掌握するものは大きな力を手に入れる。歴史上の例を挙げるならば、共産党独裁下にあった旧ソ連では、国家主体の監視や密告は慣例化しており、国家権力の下告訴された多くの人々が死刑判決を受けている。
コウはそのような権力と取引をし、申大為と危うい関係を続けている、その権力に縛られつつ、またその権力から自らを守る手段として。
(2005/1/31)