『映画の生体解剖ビヨンド』とは?
およそ80本の映画をもとにしたフッテージ・コラージュ。
かなざわ映画の会代表・小野寺生哉さんから、対談集『映画の生体解剖』の映像版を作れないか?という依頼を受け、高橋洋さんがそれに応えて作った作品。
対談集『映画の生体解剖』において提出された《白人映画》という概念、そして2014年カナザワ映画祭トークショーの打ち合わせで塩田明彦さんが打ち出した「映画の底」という考えから浮かび上がってきた《垂直軸と罪》という概念の二つを軸として構成されている。
第一部は「映画は色んな意味で人種を越える」
第二部は「自分は以前どこかで犯罪をおかしている気がしてならない」
『ビヨンド』は対談集『映画の生体解剖』の解説ではない。タイトル通り、それを超えてゆくもの。映画の本質を見極めるための、新たな試みである。
企画 小野寺生哉/構成 高橋 洋/編集 中瀬 慧/38分
【カナザワ映画祭トーク・ショウ「映画の生体解剖× 映画術」より】
(「ビヨンド」を見て)
「映画というのは初期から現在に至るまで「こういうふうなことなんだな」と。そういう意味で非常に感動いたしました。」(稲生平太郎)
「三十八分近いこの映像を見て大いに感動しつつも、何を言っていいのやら分からないんですが、ぼくの感覚で言うと、「これも映画!」という感じで、「これだけが映画」とは思わないんですね。」(塩田明彦)
【高橋洋・『ビヨンド』とフッテージ・コラージュ】
「小野寺さんからはゴダールの『アワー・ミュージック』(Norte musique,2004)のようなものを、と依頼されたんです。
『アワー・ミュージック』は、画面はサイレント化して、そこに作者の映画にまつわる思弁がナレーションとして入ってくるスタイル。フッテージ・コラージュの先駆者ギー・ドゥボールでもそうですね。それはシネフィルっぽくスカした感じがするんで僕はどうも……。
むしろ、僕が非常に触発されたのはアルタヴァスト・ペレシャンの『我らの世紀』(Mer dare,1983)でした。これは記録フィルムのコラージュです。ペレシャンも画面は基本的にサイレント化してますが、映像の連なりに一切能書きがないのです。僕もこの手でいこうと。
かつ、画面をサイレント化せず、人物の台詞を生かしてみようと。そうすると背景の音楽とかも入ってくるんで、著作権的にはよりややこしいことになるんですが……。でも、この台詞を生かすというやり方はやってみて実に面白いなと思いました。音を重視する自分のやり方にかなっていたなと。」(談)