擬態告知

 小指の想い出 


別に噛まれた訳ではないが
私にも小指の想い出があった
あった としているのは他でもない
私には小指というものがないのだ
      *
それは飛び跳ねる小魚を見ても
耳朶が熱くなる年頃のことであった
ある夜――
小指は無断で薬指と癒着していた
思いも寄らぬ寝返りであった
(と 原告側は当時を振り返る)
規範は天に召され
後退論が 火蓋を切った
      *
事件は密室の中で展開された
桃色のカーテンが上下に震えていた
卓袱台の上では
ランタンの炎が揺らめいて
窓枠は甘い蜜蝋で固められていた
      *
ぶるんぶるんと 扇風機が唸る
TVはお笑い番組を垂れ流している
(僕は息を止め 死んでいる)
汗だくの白い肉塊が
シューミーズの肩紐に引き裂かれ
禿げ頭の男が
煙草を一本 チッと銜えた……
      *
誰にでも
思い出したくない記憶がおありだろう
けれども私には
小指というものがないのだ
ない と記したのは他でもない
かつて私には小指があったのだ


(H13.5.3改稿)


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