■大谷派本願寺函館別院本堂■ 2007年01月11日
大三坂、異教四天王の最後を飾るのは、大谷派本願寺函館別院である。
見よ!
この、すぐに手の届くような高さにある天平の甍を……
って、すいません。
天平じゃありませんね。
実は、大正の甍でした。(笑)
ロマンチックな教会が建ち並ぶ中、まるで人の恋路を邪魔するかのように、大きな純和風の瓦屋根が威嚇する。
驚きなのです。
とにかく驚きなのです!
どひゃ~!
と、つい口走ってしまうのです。
エキゾチックという言葉は、実にこの景観のためにあるようなものなのだ。(笑)
真宗大谷派函館別院(東本願寺)。
着工は明治45年(1912)、竣工は大正4年(1915)。
設計は9世伊藤平左衛門。
施工は10世伊藤平左衛門+木田保造。
ん? 木田保造?
どこかで聞いたことがあるお名前でしょう。……
そう、あのゴシック様式の元町カトリック教会を施工した人物なのである。
さすがである!
何でもこなすのである!
イタリアンでも中華でも、天丼でもカツ丼でもラーメンでも……
まるで、巷の定食屋のおやじみたい。(笑)
ちなみに設計者の9世伊藤平左衛門は、京都の東本願寺大師堂を手がけた、権威ある宮大工の棟梁。
10世が、木田と一緒に施工を担当する。
この建物の何処がすごいのか?
そう、何を隠そうこの寺は鉄筋コンクリートで出来ているのだ!
えっ!……なに?
そんなの珍しくない!?
何を~!(笑)
いやいや、この寺は、わが国初めての鉄筋コンクリート造の大伽藍なのである。(ふむふむ)
日本に、鉄筋コンクリートが紹介され始めたのは明治20年代半ばのことである。
記念すべき、日本最初の鉄筋コンクリート構造物として有名なのは、明治36年(1903)、田辺朔郎の琵琶湖疏水運河橋。
このへんてこりんな耳慣れない工法は、はじめ鉄道や築港などに多く使われていたのだ。
それからすぐにオフィスビルに使われるようになるが、当時としてはまだまだ未知の工法なのであった。
うーん、今で言うとTVのデジタルハイビジョン放送みたいなものかな? (笑)
それを畏れ多くも本願寺のお寺さんで初めて採用しようとするのだから、世間では大変な騒動であった。
と、見てきたようなことを言ってます。(笑)
荘厳なるお寺さんが、職人の足で踏む砂や砂利で造られては、ご先祖様に申し訳ない!
と、信者の猛反発を買ったのである。
そこで、使用する骨材は全て洗い清められ、砂なども綺麗に洗浄されて使われたという。
また、鉄筋コンクリート構造の安全性をPRするために、屋根に電灯を点け、芸者をあげて手踊りさせるパフォーマンスも繰り広げられたらししい。
うーん、この方がよっぽどご先祖様に申し訳ないような気がするが。(笑)
かくして、艱難辛苦を乗り越えて、ようやくて完成されたのがこのお寺さんなのである。(鉄筋コンクリートにした理由は、度重なる大火から寺を守るため)
日本建築界において、革新的な成果を果たした本願寺函館別院だが、それを知る人は多くない。
ひっそりと、おしゃれな教会の隅に追いやられている感があるなぁ~。
皆様、函館へ行ったら、まずはこのお寺さんへお参りしてから可愛い教会巡りをしてくださいね。(笑)
大谷派本願寺函館別院本堂
全景