Isidora’s Page
建築日誌
■遺愛幼稚園■    2007年02月23日

一時期、韓国あかすりなんていうものが流行したが、今ではあまり耳にしない。
いや、宗男が耳にしないだけであって、韓国あかすりは今もなお顕在なんだろうなぁ~。
TVで見る限り、垢などとはまったく縁のない綺麗なお嬢さんでも、スリスリするとボロボロ・ボロボロと垢が湧いて出る。(笑)
そういえば、昔「手と足に~プリィティー♪」というCMがTVで流れていた。
宗男はよく、母親の目を盗んではこれを自分のお肌にスリスリしていたものだ。(笑)
これがまた面白いほどに垢が出るのだ。
溜め込んで、消しゴムにでも使えないか?
と思うくらい、幼い宗男のお肌はプリティーだった。(笑)

と、汚い話で申し訳ございません。(ぺこり)
スリスリの話をしたのは他でもない。
以前、亀井邸のピンクの外壁に話が及んだとき、MORIHANAさまから大変興味深いお話をご教示いただいた。
「函館の街は、なぜにピンク色の建物が多くあるのか?」
というものである。(参照)

建物の外壁は、現状目にするペンキの色と竣工当時のそれとは必ずしも一致しない。
特に古いものともなれば、その時代の流行や諸般の事情により、何度も色を変えているケースが少なくないからだ。
白黒写真しか残っていない場合は、かつての色を判断するのはそう容易ではない。
そこで現れたのが「スリスリ」、いや「こすりだし」と言う技法である。(笑)
建物の外壁を三度・ペーパーで擦り出し、いや、サンド・ペーパーで擦り出し(笑)、塗り分けられた各層のペンキの色を判断すると言うもの。
これがまた面白い。
函館には元町倶楽部といって、この擦り出しの専門家集団がいるのだそうだ。(笑)

函館元町を代表するピンクの建物。
それがこの、遺愛幼稚園である。
竣工は大正2年(1913)。
木造2F建て。
設計者は不詳である。
ハリストス正教会のすぐ隣に位置するこの場所は、明治15年(1882)に創立した、遺愛女子学校の発祥の地でもある。
ああ! 遺愛女子校。
ここは、函館を代表するお嬢様学校である。
もちろん、宗男のお友達も数多く卒業している。(笑)
明治41年(1908)、大火により消失後本校は杉並町へと移転するが、これが石坂洋二郎の「若い人」のモデル校とも言われている建物である。
余談になるが(どうせ余談ばかりでしょ/笑)、この杉並の校舎にはなんとあのヴォーリズ設計の講堂(集会場)があるのだ。
また、最近の調査でわかった事だが、本校舎を設計したのがあのJ・M・ガーディナーなのである。
すごい!
おしゃれである!
なんとも、お嬢様なのである!!
ヴォーリズとガーディナーが設計した校舎でお勉強出来るなんて、日本中探してもここくらいしかないだろうなぁ~。(笑)

その付属幼稚園が、このピンクの建物なのである。
どうりで可愛いはずだ。
しかも、コモモ色である。(笑)
デザイン的には、下見板張りのスティック・スタイルを基調とした控えめなもの。
玄関のくし型のぺディメントがやや和風であるが、擬洋風とは言いがたい本格的な洋館である。
確かな証拠はないが、ガーディナーの息のかかった人物が手がけたとも推測できるなぁ~。
この外壁のピンク色。
創建当時はくすんだクリーム色だったという。
その後、クリームやピンクといった淡い中間色が塗られ、その中間色の中でも淡い黄褐色から次第に薄い色に変化し、現在のピンク色となったらしい。
おそらく現状を維持するつもりが、退色した色に合わせて塗り重ねるものだから、次第に色が変化していくと言うのだ。
これが「こすりだし」の成果である!
そうそう、こすりだしの成果と言えば、このあいだ宝くじの「スクラッチ」を買った。
な、なんと1万円が当たったのだ。(きゃ~!)
普段は100円しか当たったことがないから、この成果は大きいぞ!(笑)

【所在地】北海道函館市元町4-1 グーグルマップ


遺愛幼稚園 

遺愛幼稚園

遺愛幼稚園 

遺愛幼稚園 

こすりだし 
こすりだし 『建築の彩時記』(INAX出版)より