不思議な物語14回   煙をあげる脚、その他の物語

(禁転載)
 
イギリスの作家ジョン・メトカーフ John Metcalfe(1891~1965)の名前は、幾つかの短篇によって、怪奇小説、超自然小説の分野で今日でも記憶されているが、しかし、彼の怪奇小説を一冊に蒐めた傑作集の類は英米でも未だ出版されておらず(注)、彼の全貌を窺い知ろうとすると、古書店を漁るしかないというのが現状である。晩年のメトカーフはとりわけ不遇で、アルコール中毒などに苦しみ、また物質的にも極貧生活を送った。後期の秀作『死者の饗宴』(1954)はイギリスでは版元すら見つけられず、唯一出版に同意したのがアーカム・ハウスだったのである。我国では『死者の饗宴』が幸運にも比較的早い時期に紹介されたものの(不運にも訳文には誤りが目立つが)、その後は、短篇が散発的に数編翻訳されるにとどまっている。今回の『不思議な物語』では、メトカーフの遺した超自然小説のほぼ全てを紹介してみようと思う。

 メトカーフの処女作品集である『煙を上げる脚、その他の物語』The Smoking Leg and Other Stories(1925)には、都合十八編の物語が収められているが、そのうち六編が〈不思議な物語〉の範疇に属する。表題作「煙を上げる脚」は、神秘な力を持つ宝石をめぐる話。狂った英国人医師がインド人船員の脚に宝石と護符を埋め込むのだが、船員は医師を殺して逃亡、しかし、彼の乗った船はいずれも火災を起こして沈没していく。というのは、彼の脚は宝石の作用によって煙を、炎を上げるからだった……。ひねりの効いた結末が用意されている。「悪夢にうなされるジャック」'Nightmare Jack' も、やはり、東洋の神秘な力を扱っている。ただし、舞台はロンドンの場末に設定されており、東洋の邪教集団から財宝を奪ったために、船乗りたちに降りかかる呪いを描いている。以上の二編には、いずれも十九世紀の英国海洋冒険小説の香りが感じられ、意外に思う読者もいると思うけれど、メトカーフの父親が少年向け海洋小説の作家であったという事実を知ればうなづけよう。
 「邪悪な土地」'The Bad Lands' は、彼の作品中、最も有名なもののひとつ。ノーフォークの海岸の村に療養にやってきた主人公は、土地の一角が「邪悪」なものだと確信し、その邪悪な力の中心とおぼしい荒れ果てた無気味な家をやがて発見する。しかし、他の人々にとっては、そこには普通の農家しか存在しなかった……。家の中に放置された紡ぎ車が無気味な効果を上げている。
 「灰色の家」'The Gray House' は、タクシーによる悪夢のようなロンドン廻りの果てに奇妙な家に遭遇し、そこから過去へと呑み込まれてしまう男の物語。「代理人」'The Proxy' は、正体不明の夢に悩まされる画家の話。この二編、とりわけ前者は失敗作というほかない。
 ドッペルゲンガー・テーマの特異で傑出したヴァリエーションである「二人提督」は翻訳があるので紹介は省くが、物語の根幹をなす部分で幾つか致命的な誤訳が見られるのは残念である。
 この後、二本のメインストリーム・ノヴェルを発表したメトカーフは、五編の怪奇小説を含む、二番目にして最後の短篇集『ユダ、その他の物語』Judas and Other Stories を一九三一年に上梓する。
 「永代所有権」'The mortmain' は、題名の暗示する通り、死者の妄執が主題になっている。結婚したばかりの主人公は、ヨット旅行によるハネムーンを計画、しかし、行く先々で新妻の前夫の所有していたものらしき船が現れる。実は、その前夫とは奇怪な噂が色々と囁かれていた人物であり、彼女はごく最近にその死によって彼から解放されたばかりだったのだ……。漠然とした定義し難い恐怖を次第に高めていくメトカーフの手際は冴えわたっているが、結末はあまりに直截的で僕は買わない。
 「時限式信管」'Time-Fuse' の主人公は、スピリチュアリズムに凝る中年女性。ある日突然、彼女は、前世紀の有名な霊媒ヒュームのように、燃えている石炭を皮膚に押しあてても火傷ひとつしないようになるのだが……。メトカーフには珍しく、アイデアが勝負という感じの短篇。題名の意味するところは、結末に至って初めて分かる仕掛になっている。
 エジプトのトート神に変身していく男を描いた「メルドラム氏の憑依」も、翻訳があるのでここでは省略しよう。ただ、グロテスクな感覚を喚起するために採用された、滑稽さを強調したその語り口は、受けいれられにくいかもしれない。死後も自分を支配しようとする亡妻の意志、一種の宗教的な狂信者である愛人の双方に苦しめられる男の物語「罪は犯さず」'No Sin' と、ステンド・グラスの聖者の顔が変貌していくという妄想に憑かれた牧師を描く「バセットの顔」'Face of Bassett' は、どちらも超自然的要素は稀薄で、異常心理小説に分類されるべきもの。ただし、どちらも、独特の暗鬱な雰囲気を湛えている。
 短篇『ブレナーの息子』Brenner's Boy は、『ユダ』の翌年に単行出版されている。退役軍人のウィンターは、車中で偶然、かつての上官、海軍少将ブレナーと、そのいかにも不愉快そうな息子に出会う。ウィンターが御愛想で言ったつもりの招待を真に受けてか、やがて、少年は彼の家に現れ、その無作法な振舞で彼を数日間苦しめたあげく、突然姿を消すのだが……。幽霊物語として傑出しているばかりではなく、ブレナーとウィンターの間に何か特殊な関係が存在したことが暗示され、また、後者の狂気もほのめかされるなどきわめて謎めいた作品。メトカーフの全短篇中、おそらく頂点に立つ作品であろう。
 『死者の饗宴』と共に本来は出版されるはずだった八つの短篇のうち、四編のみがオーガスト・ダーレスによって後にアンンロジーに収められている。そのうち、「そこではなく」'Not There' と「ビヨンダリル」'Beyondaril' を今回読むことができたが、どちらも水準以下の作品。前者は彫像に変身する女、後者は死のヴィジョンに憑かれる男を描いている。メトカーフの最後の純文学長篇『従弟ジェフリー』My Cousin Geoffrey(1956)は〈不思議な物語〉に属するともいえるので、それを紹介して締めくくることにしよう。大戦間の英国の中流階級の一家の生活を背景に、従弟によって精神的に支配される男を描いたこの作品は、冗漫で退屈、メトカーフには長篇作家としての才能が欠如していることが分かる。ただし、結末近くになって、物語は、霊魂の入れ換わりという、いささか唐突で、驚くべき展開を見せる。これに焦点を絞って中編にしていればと、悔やまれる。
 なお、今回の執筆にあたっては、コレクターのS氏に貴重な蔵書を借覧させて戴いた。この場を借りて、感謝したい。

(注)メトカーフの怪奇小説は、この後、Richard Dalby, ed., Nightmare Jack and Other Tales: The Best Macabre Short Stories of John Metcalfe (Ash-Tree Press, 1998)によって一本にまとめられ、現在では読むことが容易になっています。(稲生)
 
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