稲生平太郎INTERVIEW補注のための覚え書き
《世界大ロマン全集》
1 アレクサンドル・デュマ『鉄仮面』(大仏次郎訳)
2 デュ・モオリア『情炎の海』(大久保康雄訳)
3 ブラム・ストーカー『魔人ドラキュラ』(平井呈一訳)
4 アーサ・モリスン「緑のダイヤ」、リチャード・デーヴィス「霧の夜」、マルセル・ベルジェ「ある殺人者の日記」(延原謙訳)
5 H・R・ハッガード『洞窟の女王』(大久保康雄訳)
6 ジョンストン・マッカレー『地下鉄サム』
7 H・G・ウェルズ「タイム・マシン」「透明人間」「モロー博士の島」(宇野利泰訳)
8 ヴィッキィ・バウム『乙女の湖』(植田敏郎訳)
9 H・プリボイ『ツシマ日本海海戦』(上脇進訳)
10 ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』(江口清訳)、『モーリス・ルヴェル短編集』(田中早苗訳)
11 マリー・コレリ『復讐』(平井呈一訳)
12 ウィルキー・コリンズ『月長石』『人を呪わば』(中村能三訳)
13・14 アレクサンドル・デュマ『巌窟王』(木村庄三郎訳)
15 ユージェーヌ・シュー『パリの秘密』(関根秀雄訳)
16 コナン・ドイル『マラコット深海』(E・A・ポオ『ゴードン・ピムの冒険』(大西尹明訳)
17 イリフ・ペトロフ『黄金の仔牛』(上田進訳)
18 フレデリック・マリアット『ピーター候補生』『ピーター・シンプル』(伊藤俊男訳)
19・20 ルイス・ブロムフィールド『ボムベイの夜』(竜口直太郎訳)
21 ショルジュ・クールトリーヌ『陽気な騎兵隊』(獅子文六・安堂信也訳)フィシエ兄弟『三角ものがたり』(水谷準訳)
22 ディクスン・カー『髑髏城』(
23 ピエール・ルイス『ポーゾール王の冒険』(中村真一郎訳)
24 江戸川乱歩編『怪奇小説傑作集第1』(平井呈一訳)
25 『金瓶梅』(富士正晴訳)
26 クロード・アネ『うたかたの恋』(岡田真吉訳)クロード・アネ『アリアーヌの青春』(宇佐見英治訳)
27 J・M・スコット『魚とビスケット』(田中西二郎訳)
28 ジャック・ロンドン『白い牙・荒野の呼び声』(阿部知二訳)
29 マルセル・エーメ『第二の顔』(生田耕作訳)
30 モーリス・ルブラン『奇巌城・怪盗紳士』(石川湧訳)
31 H・R・ハッガード『女王の復活』(大久保康雄訳)
32 エーリッヒ・ケストナー『消え失せた密画』(小松太郎訳)
33 H・H・エーヴェルス『吸血鬼』(植田敏郎訳)
34 バロネス・オルツィ『紅はこべ団』(西村孝次訳)
35 シェンキェヴィッチ『クオ・ヴァディス』(木村毅訳)
36・37 ジェームス・ヒルトン『朝の旅路』(中橋一夫・高城ちゑ訳)
38 江戸川乱歩編『怪奇小説傑作集第2』(宇野利泰訳)
39 ラファエル・サバチニ『スカラムーシュ』(大久保康雄訳)
40 ピエール・ブノア『ケーニクスマルクの謎』(高橋邦太郎訳)サシヤ・ギトリー『トランプ譚』(高橋邦太郎訳)
41 ブラスコ・イバーニエス『血と砂』(会田由訳)
42 呉承恩『西遊記』(檀一雄訳)
43 アンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』(井上勇訳)
44 アレクサンドル・デュマ『黒いチューリップ』(宗左近訳)
45 ニコライ・チーホノフ『白の奇跡』(袋一平訳)
46・47 レイチェル・フィールド『すべてこの世も天国も』(大久保康雄訳)
48 A・ベリヤーエフ『ドウエル教授の首』(原卓也訳)
49 世界怪奇実話集・牧逸馬『運命のSOS』
50 ウィリアム・アイリッシュ『黒いカーテン』(宇野利泰訳)
51 エーリッヒ・ケストナー『雪の中の三人男』(小松太郎訳)
52・53 アレクサンドル・デュマ『王妃の首飾り』(大久保和郎訳)
54 コナン・ドイル『コロスコ号の悲劇』『クルンバーの謎』(松原正訳)
55 ジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』『マルティン・パス』(江口清訳)
56 ロバート・スティヴンスン『宝島』『ジーキル博士とハイド氏』(野尻抱影訳)
57 H・R・ハッガード『二人の女王』(大久保康雄訳)
58 ジョンストン・マッカレー『怪傑ゾロ』(井上一夫訳)
59 トリスタン・ベルナール『恋人たちと泥棒たち』(田辺貞之助訳)
60 ジャン・カスー『ウィーンの調べ』(生田耕作訳)ロバート・ネーサン『ジェニーの肖像』(大西尹明訳)
61 ジェームス・ヒルトン『鎧なき騎士』(竜口直太郎訳)
62 チャールズ・ナイダー『拳銃王の死』(長谷川修二訳)
63 ドッド・オズボーン『冒険はわが宿命』(田中西二郎訳)
64 H・R・ハッガード『モンテズマの娘』(大久保康雄訳)
65 H・R・ハッガード『アランの妻』『マイワの復讐』(大久保康雄訳)
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ジェーン・オースティン Jane Austen 1775-1817
『いつか晴れた日に : 分別と多感』(真野明裕訳・キネマ旬報社)『分別と多感』(中野康司訳・ちくま文庫)
Sense and Sensivility ――知性と感性とでも。抑制心の強い、つまりは我慢強く打たれ強いエリナと、単純だが感性豊かなマリアンの姉妹が、それぞれに伴侶を得る話。マリアンの夫が35歳というのが、どうもね。倍の年齢だ。またエリナの恋人エドワードも煮え切らない男だ。とりあえず最初の作品ということで、物語展開も、また男性の造形も、ヒロインの性格もいまいちである。状況設定が際やかでないというべきか。特にヒーローたるべきエドワードには、ダーシーの如き強さも無く、あまりおもしろくはない。
『高慢と偏見』(阿部知二訳・河出文庫)『自負と偏見』(富田彬訳・岩波文庫)
日本語で言うとたいへんにすごい感じのタイトルだが、原題は
Pride and Prejudice、 「自尊心と先入主」というニュアンスだろうかと思う。
19世紀初頭のイギリスを舞台とする。田舎で暮らす中産階級のベネット家には五人の娘がいる。美人で善意の塊のような長女ジェイン、機知にあふれ人間観察の名人と自分を位置づける理性的なエリザベス、魅力に欠けるメアリ、ごく普通なキャスリン、思慮の浅いリディア。男子がいないために父親が死ぬと親戚の男子に財産が行ってしまうので、母親は娘を有産階級に片づけることにのみ心を砕いている。近所に別荘を持った青年ビングリーとジェインとは互いに魅かれあうようになる。ビングリーの友人の資産家ダーシーは、舞踏会に出席するが、傲慢な態度を見せ、エリザベスを見下した物言いをする。エリザベスはそれを冗談にして紛らすが、彼女はそのことでダーシーを常にある種の先入観を持って見るようになる。ところがダーシーはエリザベスの機知や活き活きとしたところにどんどん魅かれていくのであった……。
一種の願望充足小説なのではないかと思えてならない(オースティン研究者に殴られるか)。エリザベスは自恃の気持の強い女性であって、機知をもって相手と亙りあう上に、かなり徹底した論理的理性派である。一般的にこういう女性を男性は好かない。ジェインはまさに男性が愛しそうな女性で、彼女が善良で素直でそこそこ資産のある夫を見つけるのは物語としては順当。エリザベスが地位も高く、また誠意もあり、さらにはプライドを枉げるだけの深い愛情も持っている男性と結ばれるのは破格なのだと思えてならないが、大方の女性は、この物語を愛すだろう。赤毛のアンも足長おじさんもみなこれの孫だ。少女たちは男に負けないほど強くてユニークなのだ。こんなことは誰もがどこかで書いていることだろうから、取り立てていうほどのことではないのだけれど、思わず、こういうタイプの女性が男を捕まえる話というのを並べてみたくなってしまった。
ユーモア小説で、母親がギャグの生け贄とされるために、とんでもない性格を付与されている。誰もが物語のために奉仕する性格であって、そういう意味でのリアリティはまったくない。ただ、姉とその恋人が二人でいる部屋に入っていったエリザベスが二人が真剣に話しあっている処を目撃して気まずく思うところ、求婚されて、怒りに任せて激白する場面などは、きわめて印象深い。
『ノーサンガー・アベイ』(中尾真理訳・キネマ旬報社)『ノーサンガー・アビー』(中野康司訳・ちくま文庫)
ゴシック・ロマンス大好き、お転婆娘のキャサリン十七歳が、現実的な愛を獲得するまでを描いた物語。至るところに物語のパロディが現れ、小説論が展開される本書はいわばメタノヴェル。著者の顔の出し方にしても、まったく洒落たもので、その諧謔味は評価できる。キャサリンやその家族は『高慢と偏見』のヒロインや家族と比べると、真っ当で現実的であり、いろいろな意味でアンチ・ロマンティシズムではあるのだが、やはり玉の輿物語(につきものの変な障害付き)であることに変わりはないので、今の目から見れば立派なファンタジーである。キャサリンの相手となるヘンリーは作者の分身とも思える機知に富んだ人物であり、またキャサリン自身は性格が良くて頭の空っぽな少女と捉えられている。だが、たいへんに直情径行で魅力的であり、私は思わずオースティンはこういう女性を愛したであろうと想像してしまった。フェミニズムの立場からめいっぱい論じてみたい、と思わせる作品。
『エマ』(工藤政司訳・岩波文庫)『エマ』(中野康司訳・ちくま文庫)『エマ』(阿部知二訳・中公文庫)
美人で頭も良い二十一歳のエマは、母代わりの家庭教師が自分が考えていた通りの人と結婚したことから、月下氷人となる楽しみを見出し、若くて可愛らしい女性ハリエットの結婚話をさまざまに考えるようになるが……という物語。エマのしている行為は多くの場面で権力の行使であり、人に影響を及ぼして悦に入るという体のものである。また、かなり反省的であるくせに、自分の気持ちにはまったく気付かない。物語が始まってしばらくすると、これはこの方向に行く結婚話だ、ということが分かるが、一人エマだけは見当違いのことをし続ける。大方の読者はエマよりは分別のあるナイトリーに感情移入してしまいそうになるだろうが、それはこの物語の構造があまりにも見え過ぎるように作られているからにほかならない。あらゆる意味で著者はナイトリーを基準にしているように見えるので、ナイトリーに相応しい思慮深い人物にエマが育っていく話と要約したくなってしまう。どこか紫物語のようである。フェミニズム批評の対象としては分析しがいがあるのだが、小説としてはどうだろうか。
『説きふせられて』(富田彬訳・岩波文庫)『説得』(大島一彦訳・キネマ旬報社)『説得』(中野康司訳・ちくま文庫)
恋人が財産も地位もなかったために結婚を反対され、思いとどまった准男爵家の令嬢アン。すでに妙齢の峠を越えた二十七歳のアンは八年ぶりでかつての恋人に再会するが……。ほとんど何も起こらないまま、愛情が復活してしまうという話で、アンが目だたないながらもほとんど非の打ち所のない女性なので、この作品はおもしろい印象を与えない。成長小説は書き飽きた。身の丈のままに身の丈のままの幸福を手に入れる女性の物語を書いてみた。しかしこれはこれで退屈だったな、というのがオースティンの感想ではないか。いちばん繊細と言われるそうだが……。
『マンスフィールド・パーク』(大島一彦訳・中公文庫)
三人姉妹がいて、長女は牧師の、次女は従男爵の、三女は海兵隊員の妻となる。海兵隊員には地位も財産もなく、三女の結婚は姉妹にとっては不品行と思われた。だが三女の経済が逼迫し、長女と次女は、三女の娘を一人預かることにした。それがヒロインのファニーである。十歳の時からマンスフィールド・パークに暮らし、サー・トマス・バートラムなどに遠慮しつつ生きる、何とも地味で控えめなヒロイン。激しいところが無くて、自己卑下ばかりが目立つので、うんざりしてしまう。彼女が成長してバートラムの次男エドモンドと結ばれるまでを描いている。エドモンドは別の女性に恋していたが、彼女の恋愛に関する放埒さを知って彼女と別れ、ファニーと結婚する。果して二人は幸せだったろうか。最もかったるい作品。
私はこれまで『高慢と偏見』『ノーサンガー・アベイ』しか読んでいなかったので、オースティンの特異な立場をまったく理解していなかったのだと思う。『エマ』『説得』『マンスフィールド・パーク』などを読むと、『源氏物語』と比べたくなる誘惑に駆られる。話の内容が似ているわけではない、作者の位置、ジェンダー、女性意識というものを比べてみたくなるのだ。『ノーサンガー』などもこのような視点から見ると、ちょっとこれまでとは違って見える。きっと誰か書いているのだろうな、なにしろオースティンは英国小説最大の作家と言われるのだし、紫式部もそうだ。『細雪』はオースティンをやってみたのだ、という横山さんの意見は、そのような点からも興味深い。『細雪』は『源氏』の現代語訳のさなかに書かれ、文体的には源氏訳に近いと言われているのだ。
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ピーター・ディッキンソン Peter Dickinson(1927~)
エンサイクロペディアを見たら、ロビン・マッキンリイ(1952~)と結婚したのだそうだ。うーん。25歳も年齢が違う。ミステリとジュヴナイルSFの作家と目されており、ミステリの方では英国推理作家協会賞を、ジュヴナイルではガーディアン賞などを受賞している。
【ミステリ】
Skin Deep,1968『ガラス箱の蟻』(皆藤幸蔵訳・ハヤカワ・ミステリ)
A Pride of Heroes,1969『英雄の誇り』(工藤政司訳・ハヤカワ・ミステリ)
The Seals,1970
Sleep and His Brother,1971『眠りと死は兄弟』(工藤政司訳・ハヤカワ・ミステリ)
The Lizard in the Cup.1972『盃の中のトカゲ』(大庭忠男訳・ハヤカワ・ミステリ)
The Poison Oracle,1974『毒の神託』(浅羽莢子訳・原書房)
『ガラス箱の蟻』ニューギニアに暮らしていたクー一族は、太平洋戦争に巻き込まれ、ほとんどが虐殺された。人類学者のイブをまじえた生き残りの十七人はロンドンのアパートでは世間から孤立し、部族の儀式や風習を守りながら二十年にわたって生活してきた。ところが、その酋長アーロンが殺されるという事件が起きる……。タイトルはイブにとってのクー族がガラス箱の中の蟻だという意味であり、ミステリとしてはどうということはないのだが、設定そのものがすごく変ではある。
『英雄の誇り』国民的英雄であるクレヴァリング兄弟は戦後すぐに隠遁した。彼らの館ヘリングズで、女婿のハーヴェイ・シングルトンは19世紀英国を再現するテーマパークを経営している。ピブルが訪れたのは、老僕が自殺したとの知らせを受け、それを検分するためである。ピブルは全体の雰囲気に芝居がかったものを感じ取る。テーマパークだから、というのではなく、さらにピブルを罠にかけるために。実は提督は失踪しており、ピブルを利用してそれをさりげなく公にしようとしていたのだ。この裏にあったのは、一人の女をめぐる兄弟の確執であり、娘の復讐心であった……。
『眠りと死は兄弟』ピブルはキャシプニーと呼ばれる奇病にかかっている子供たちを収容した施設にやって来る。彼らはその病気のせいで、いつも眠っているようであり、知能の発達も思わしくなく、語彙は貧困で意志の疎通も困難、さらにはとても肥っているのだが、守ってやりたいと思わせる奇妙な魅力を湛えていた。そしてどうやらピブルがやってくること、そして彼がクビになった警官であることも知っていた。つまり彼らにはテレパシーがあるように見えるのだ。ピブルは物あてでその能力に確信を抱く。一方子供たちは秘書のジョーンズ夫人が死んでしまう、というようなことを遠回しに言うのだが……。病気の子供の一人がある変態的殺人狂を義父にもっていて、しかも彼がたまたま脱走したこと、勤務の医師二人のうち、一人はパブでの友人であり、一人はどうやら詐欺師であるらしいことから事件は錯綜をきわめる。さらに館の持ち主とその娘の血縁の問題、館の改装と火事など、とんでもないことが次々と起こっていく。結局ピブルの考えは例によってどこかピントはずれなのだが。『英雄の誇り』同様、ほぼ一箇所で展開する一日の冒険を描く。
キャプシニーは架空の病気だが、それにしても奇妙きわまりない設定である。
『盃の中のトカゲ』ピブルは大富豪タナトス氏(『眠りと死は兄弟』で知りあう)に誘われてギリシアの島に来ている。そこではもしかしたらタナトスが狙われているのかもしれない。ピブルは例によって何となく事件が起きそうな感じは抱くのであるが、その真相を見きわめられないまま、事件は最終的に起こってしまう。毒トカゲの伝説や修道院の美術史的価値の高いモザイクや飲んだくれのト修道士のエピソード、テロリストの魅惑的な女と女性画家とのレズ的関係などが彩りを添えるが、いまいち。
【ファンタジー的ミステリ】
King and Joker,1976 『キングとジョーカー』(斉藤数衛訳・サンリオSF文庫)
架空の英国王室(現代)のスキャンダルを背景にしたミステリ。英国民でないとおもしろくはないのでは。それにしてもディキンスンはどうしてレズビアンを描きたがるのだろうか。
【SF】
The Green Gene,1973『緑色遺伝子』
天才的な数学者プラヴァンドラガシャラティピリ・ヒューマヤンは医療統計学に従事しており、緑色遺伝子の発現傾向を予測するという目的でイギリスを訪れていた。どんな数でも覚えていられるだけで創造的な数学者ではないとヒューマヤンは自己紹介をコンピューターを駆使して仕事を行う彼の姿はまさしく数学者的であり、この名前から当然のことのようにラマヌジャンをも想起させずにはいない。ともあれ、ヒューマヤンは差別主義的なせいでテロの絶えない国で、下宿先の姉妹に悩まされながら(姉は魅力的で性的な対象になりうるが彼の方を振り向かないため、妹は彼に興味津々だが魅力に欠け、しかも魔女的な力を彼に対して発揮するため)、研究を続けているが、誘拐されてしまう……。
サスペンスとしては中途半端でどうしようもない感じ。
【児童文学】
The Weathermonger,1968『過去にもどされた国』(はやしたかし訳・大日本図書)
Heartsease,1969
The Devil's Children,1970『悪魔の子供たち』(美山二郎訳・大日本図書)
The Blue Hawk,1976『青い鷹』(小野章訳・偕成社)
最初の三つは《Changes 大変動》三部作。
『過去にもどされた国』突然にイギリス全土の人民が機械を憎むようになってしまい、また機械文明の記憶も薄ぼんやりとしたものになってしまうという設定。遺伝的に機械を憎まずに済んでいるうえに、天候を操る魔法まで手に入れた少年ジェフリィと、その妹サリーが、この狂気の原因を探り出す破目になるというもの。『悪魔の子どもたち』は、異変の初期、親とはぐれた一人の少女ニッキーが、異変の影響を受けていないシーク教徒の一団の中で生きていく姿を描いている。シークの一団は、一人の大男によって統率された村の隣で、鍛冶と農耕を始め、鍛冶の技術では信頼を受けるが、悪魔の子どもとして差別を受けるという設定。ここでも差別は大きなテーマになっている。なお第二作はある意味で落ち着いた中世的世界を描いているようだが、邦訳はない。
『青い鷹』ガーディアン賞受賞。少年神官のタロンは神の意志を感じ、儀式の最中に犠牲となるべき青い鷹を持ちだしてしまう。神官たちは人には馴れぬ鷹がタロンに馴れそうなことを察知し、王を封じ込める政治的手段に利用できそうだと考える。タロンは人の住まぬ神殿で人知れず訓練を続けるが、ひょんなことから王その人と知りあいになって心を通わせてしまう。結局神殿を出ざるを得なくなったタロンは、鷹の故郷である王国のはずれにまで旅し、独自の朗誦を編みだしているやはり更迭された神官と知りあう……。SF的であると同時に神秘的でもある神話的世界の解釈が特徴的。
『エヴァが目ざめるとき』(唐沢則幸訳・徳間書店)
エヴァは猿の中に意識を移植され、人間と猿との合の子的状態となる。近未来、人口は増加し、人間以外の多くの巨大動物は絶滅、人間も密度の高い都市生活を余儀なくされている。猿の生活様式に惹かれながらも人間である意識をも持ち続けるエヴァがいかなる選択を取るのかをめぐって、物語は展開する。来るべき人類ものの一つであるが、エヴァの心理描写に説得力のある力作。
『マーリンの夢』(山本史郎訳・原書房)
マーリンが見た一場の夢かもしれないし、リアルかも知れない、という枠のある連作短編集。ドラゴンと戦う王子を描く「剣」、動物の中に精神を入り込ませる血筋の乙女と騎士を描く「乙女」、人々の畏れが生みだす魔女を描いたメタノヴェル的な「魔女」などを収録する、レヴェルの高い作品集である。
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