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建築日誌
■旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)■    2006年10月28日

アカデミズムの世界では、学者同士の確執は日常茶飯である。
女性のお肌も、老化した皮膚は新陳代謝を遅らせ、様々なトラブルの原因となる。
どんな世界でもトラブルの原因は取り除きたいものである。
これを、医学用語では「角質(確執)ケア」という。
……と、すいません。 
のっけから、ケーシー高峰風な寒いギャグで。(笑)

建築の世界でも、古くからこの角質、いや、確執が生じていた。
有名なところでは、東京駅や日本銀行本店を設計したあの辰野金吾と、 この建物の設計者、妻木頼黄(よりなか)との議院建築(国会議事堂)をめぐる争いがすぐに思い浮かぶ。
辰野金吾といえば、コンドル先生門下一期生である建築四天王の一人で、建築学会会長を努めるなど、名実ともに日本の建築界の大ボスとして君臨していた。(東京駅日本銀行本店
一方妻木は、泣く子も黙る大蔵省営繕課をたてに、絶大なる官僚的権威を振るう明治官界の大ボスであった。
この二人の大ボスがぶつかった。
いや、廊下でぶつかるくらいならまだしも、当時、妻木頼黄主導で行われていた議院建築案に対し、辰野は民間の立場からこれをコンペにせよ! と猛反発したのである。
軍配は辰野に挙がった。
しかし、本格的な議院建築は紆余曲折の挙句見送られ、正式な国会議事堂が完成するのは昭和に入ってからである。
結局二人とも国会議事堂には挫折したわけであるが、残ったのは荒れた二人の確執だけだった。
これを期に、「手と足にプリティー」というスキンケア商品が爆発的に売れたという。(いや、ウソですよ/笑)

明治37年(1904)竣工。
設計は妻木頼黄、工事監理は遠藤於菟が担当。
施工は直営、煉瓦・石造、地上3F、地下1F。

申し分のない、バロックである。
ドイツ・ネオ・バロックの完成品。(笑)
辰野はどちらかというとルネサンス様式に、ほんのちょっとバロックのテイストを加味するといった、コンドル先生譲りの中途半端な折衷様式派であった。
しかし、妻木は違う。
妻木は、本格的なバロック追従者なのである。
ドームの形も洗練されていて、辰野のようなひしゃげた饅頭のような形ではない。(笑)
各辺に穿たれた丸窓のデザインも、ぺディメントを飾るティンパヌム(三角形の中の彫刻模様と思ってください)も、コリント式の付け柱も、ベネチア窓も、ベースメントの重厚さも……いたるところバロックなのである。

妻木は旗本のせがれである。
いわば、打ち倒された旧体制の人間。
工部大学校を捨て、アメリカに渡り、日本を海の外から眺めた男である。(すぐに帰ってきましたけど/笑)
辰野金吾や片山東熊と違って、彼の反発心は「完全なるバロック」に挑むことへと昇華されたのだ。
こつこつとバロックに勤しむ姿勢は、孤独である。
睡眠もままならない。
したがって、肌荒れも半端ではなかった。
日本の建築界において、妻木頼黄ほど「角質」が多い人間もおるまい。(笑)

旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館) 
旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)

旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)
全景

旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)
正面

旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)
内観その1


旧横浜正金銀行本店(神奈川県立博物館)