第12回 「詩」
小田和正/2001年6月22日(金)朝日新聞朝刊26面
あまりに商業的にねつ造された小説なら、まだ広告でも見ている方がましだと思うときがある。でもおそらく詩と広告は比較することすらできない。どんなくだらない詩にも、広告はかなわないと思う。詩は主人たろうとし、広告は奴隷であろうとする。それが媒体特性というものだ。
今回は小田和正の2枚組ベストアルバムが115万部突破&チャート1位になりましたという告知広告である。全面にびっしり書かれた文字は、あろうことかこのアルバムの歌詞である。めまいのするような愛の乱舞。広告は社会の抑圧された一面を顕在化するという紋切り型の議論があるが、ここでさらけだされた愛の言葉はいったい何を意味しているのだ。もう恥ずかしさを通り越してなにか畏れすら感じてしまう。もしビーチボーイズやモータウンのラブソングの歌詞がニューヨークタイムズ紙の一面に掲げられたとしても、(懐かしさは生まれても)この怖いもの見たさで目が離せない状況は起こらないだろう。それはいくら外国人に説明してもわかってはもらえない種類のものだ。もちろんそここそがこの広告のねらいであり、オフコースの歌詞という、異様な言語の連なりの力を熟知しての凶行なのであろう。しかし、いくらオフコースだとはいえ、ただ歌詞を並べただけでそれがパロディに見えてしまう広告という装置は、つくづく詩と無縁のものだと思えてならない。
こんなことを書いているときに、まるで詩の言葉でできているような広告コピーを見つけた。TAYLOR GUITARS(1992)というサンディエゴのギターメーカーの広告で、コピーはこうだ。「IF A TREE FALLS IN THE FOREST AND YOU'RE NOT THERE TO HEAR IT, DOES IT MAKE A SOUND?」(森の中で一本の木が倒れて、あなたはそれが聞こえる場所にいない。それは音がしたといえるだろうか?)続いて、「YES, IT JUST MIGHT TAKE 7 OR 8 YEARS」(はい、(その音は)7、8年で手に入るはずです)。たわいもないものだが、深夜にこれを見つけて、不覚にもいやされてしまった。疲れているのだろうか。