第29回 「Q」
キューピー/2001年11月20日 朝日新聞朝刊34面
目の前に真っ白い紙を差し出される。そこに一行、何を書いてもいいと言われる。ただしそれは、ある企業の広告として誰もが納得する一行でなければいけない。報酬は少なく見積もっても100万円。そしてその一行は、新聞広告として全国の読者の目に触れることになるだろう。
そうした状況に置かれてプレッシャーを感じない人はいない。何を書けばYESで、何を書けばNOなのか明確な答はない。それなのに失敗は許されないのだから。その時、「もつ」という言葉がコピーライターの頭を支配する。感動させたり絶賛されたりしたいなどとは考えない。100人に10人が感動しても、残りの90人に伝わらなければNOだからだ。何とか「もつ」コピーを書かねばならない。しかしその「もつ」とはいったい何なのだ……。こうした悪夢に本当にうなされるコピーライターもいるかもしれない。しかしそうした人は単なる未熟者である。なぜならこの場合、設問の前提自体に罠があるからだ。
今回取り上げるのは秋山晶のキューピー新シリーズである。秋山晶を扱うのは第1回に続いて2度目だが、今回のは彼のライフワークといってもいい、キューピーの企業広告である。
新聞5段(下1/3)という小スペースの、その紙面は真っ白である。真ん中に小さな字で1行、コピーが入っている、それだけの広告。キャッチコピーは「安全が商品になる時代が終わりますように。」。しかしどうしてこれが、「もつ」コピーなのか? ヒントは小さなキューピー人形マークの横に書かれたスローガンと、受けコピーに隠されている。
「food, for ages 0-100」がこの広告シリーズの新スローガン。もちろん、一生の食べ物という意味。そして受けのコピーは「0歳の人がいる。80歳の人がいる。人生は続く。キューピー」(この言いっぷりが秋山晶である)。つまりこの広告のお題は、赤ちゃんにも高齢者にも安全な食べ物をキューピーはつくっているといいなさい、ということである。その導入として、先のキャッチコピーはできた。
「安全が商品になる時代が終わりますように。」
「キューピーは安全です」ではもたない。キューピーがなぜ安全かを言おうとすると、より深みにはまるばかりだ。そんなことよりも、なぜいちいち安全であることをアピールしなければいけないのか。その時代性を言えればこの広告は「もつ」はずだ。そうした思考の流れでこのコピーはできている。
そしてこのコピーが入ることを前提とすると、ビジュアルは白紙である他はない。キューピーの広告というより、社会性をもったメッセージであるこのコピーを、それ以上に活かすデザインはないからだ。冒頭の問いが虚偽なのは、広告においては、真っ白い紙自体がすでに戦略であることが隠されているからである。本当に問われなければいけないのは、真っ白い紙に一行だけコピーが入った広告が、「どの場合もつか」ということなのだ。ただし問題はそれだけではない。経験的にすぐれたコピーだと断定できる今回の秋山晶のキャッチコピーが、なぜ「もつ」といいきれるのか。個々のコピーがそのように、分析的に語られたことはまだないのである。このコピーが「もつ」という幻想は、果たしてどこから生まれてくるのだろうか?