第20回 「貧」
日本新聞協会/2001年8月16日 朝日新聞朝刊12面
この世界に入ってもっとも驚いたのは、たかだか新聞広告の15段(1ページのこと)を製作するのに日本映画1本が撮れそうな予算をつぎ込んだり、1年というレベルのスパンで製作をし続けるという不条理を知った時である。いったいそんなお金を何に使っているのか、その長い時間をどう使っているのか、それはもうほとんど幻想的と言っていい細部なのだが、愚痴になるので言わない。
つくり手がときに非現実的だと思いながらやっているのだから、その媒体を売って商売をしている新聞社もその価値に対して不安を持って不思議はない。朝日新聞の15段を全国通しで打つのにいったいいくらかかるのか、その膨大な額を考えてみれば、ちょっとは役に立つところを見せておかなくてはと気弱に思ったりもするのだろう。そして今回の広告ができた。
今回取り上げるのは、日本新聞協会が、いかに新聞広告が「いろんな表現ができる、知的なエンターテインメント」であるかを実証しようという広告である。この啓蒙で読者が広告に興味を持ってくれるなら、広告主も高いお金を払って枠を買うかいがあろうと思ってくれるのではないか。そんな淡い希望でできている。懸賞広告の形を取っているのは、反響データを具体的に収集し、後の営業活動に役立てるためであるのはいうまでもない。キャッチコピーは、「パンダの広告、どれが好き?」。紙面にパンダをテーマにした9つの小さな広告案が置かれ、どれが好きかを書いて送ってくださいという企画である。
無理をして選ぼうとしてみたが、とても無理だった。なぜならこの9案は好みに応じて選んでもらおうという配慮から、突出しようという広告の本能が去勢されていたからだ。それはアイデアそのものの是非ではなくて、表現以前のレベルでそれぞれが投げ出されているからでもある。講義めいたことはいいたくないが、たとえば大きく〈熊猫〉と書かれたB案のキャッチコピー「中国では、パンダのことを「熊猫」と書きます。」はまったく不要だし、G案「パンだって、コミュニケーション!」にみられる、パンダのお弁当と「きょうママのことがもっとすきになりました。」のコピーの関係は、手前味噌な問答という、もっとも読者とコミュニケートしない内容になっている。それは「Read Me.」というこの広告全体のスローガンとも連関している貧しさである(それをいうならせめて Read You だろう)。
広告は広告主を越えることはできない。製作者がよく天を仰いで言う台詞である。この広告もその例に漏れない。ただ媒体は媒体主を越えることができるという事実だけが、新聞広告にとっての救いであろう。
追記。前回「I WANT YOU FOR U.S. ARMY」を取り上げた直後、ニューヨークが壊れた。そして米兵募集が本当に行われる展開に驚いている。「正しさ」の怖ろしさをこれから本当に知ることになるかと思うと恐い。