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週刊広告論
第4回 「女」 

ナイキ/2001年4月23日(月)朝日新聞朝刊18面


 いらいらする広告である。いいたいことが伝わりにくくてもどかしいとか、気分を害するメッセージを発散しているというわけではない。何にいらいらしているのか自分でも分からない、つかみどころのなさ。性的な問題であるようにも思えるのだが。
 今回はナイキの女性向けスイムウェアの広告である。ご存じのように、ナイキは言葉で広告しないブランドなのだが、今回は具体的な商品広告だけに、多くのコピーが重ねられている。しかしながらまず目を引くのは、全面写真として使われている、巨大な女性の肢体である。バックに雲と陽光が映されているので、一応屋外の写真だということが判別できるが、しかしどう見てもこの全体が屋外写真に見えないのは、手前の人物と水のビジュアルが、あまりに人工的だからだろう。左脇腹を照らす下からの照明など、リアリズムをまったく無視するように当てられている。水面に浮いた頭部に比べ、肩から下、水に浸かっている部分は大きく膨らんで見える。水中写真のそうした効果を、今回のメッセージである「体力がある女」へと連関させているのだ。そして美しい身体であるはずのものがいびつに大きく映された結果、そこからは通俗的なエロティシズムが消え去っている。あるいは健康的なイメージなど、ポーズや表情からはまるで読みとれない。彼女は機能的なスイムウェアのイコンであるにもかかわらず、泳ぐ気配すらない。水中なのに、彼女はまるでぼんやりたたずんでいるかのようだ。この感情移入に抗う一枚の写真を前に、本能が意味を求めて、文字をまさぐる。その本文には何が書かれているのか。
「‘美しい女’の見え方が、少し変わってきていると思う。
やせていない、メリハリのあるからだつきが、
美しく見えるようになってきた。
いつもポジティブなオーラを発している女が、いい。
体力がある女が、いい。
強い精神力は体力と関係があること。
楽しく生きるには体力がいることに、女性たちが気づいている。
そのことが、うれしい。
からだは、スポーツで変えられる。(以下略)」
 新しい女性の美しさを、このビジュアルは体現していたのだということが分かる。それは、「やせていない、メリハリのあるからだつき」と「ポジティブなオーラ」に要約されるものだ。しかし一転して6行目、問題は精神論にスライドする。体力があると強い精神力が生まれる。あるいは楽しく生きるには体力がいる。強い精神力で楽しく生きる女。それが‘美しい女’だとナイキは言っているのだ。でもそれは誰にとって?
「‘美しい女’の見え方が、少し変わってきていると思う。」の真意は、マッチョな常識の中での美しい女から、女性が思う美しい女へ「美しさ」のシフトを変えるべきだということだ。ナイキのスイムウェアは結局、自立する女という抽象を応援する。そしてこの広告が僕をいらだたせるのは、物言いの回りくどさだけではなく、スポーツウェアとしての水着に理論武装を施すことで、水中で肥大した商品写真を目の前に突きつけながら、それを水着でも女でもなく、ナイキのイメージとして見ろと要請する、送り手の倒錯のせいだろう。そしてジェンダーの問題はおとりでしかなかったのだ。

ナイキ