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  週 刊 広 告 論  

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週刊広告論
第9回 「完」 

Z会/2001年6月7日(木)朝日新聞朝刊最終面


 広告は100点のあるジャンルだと思う。赤ペンを持ってその内容を添削すれば、何か補われるべき欠落や略すべき過剰をチェックできるようなものなのではないか。
 今回取り上げるのは、「Z会の通信教育」である。新聞ラテ面の、短冊といわれるサイズの小型広告だ。この広告はまるでCMのように、上から下に、時系列で物語が進むように構成されている。4コマ漫画のように、と言い換えてもいい。そしてその構造を探るには、まず最後から見るのが有効だろう。
 最後のコマに当たるのは、「Z会の通信教育」のロゴと詳細情報ブロックである。ところで、「Z会の通信教育」と聞いて、あなたは何を思考するだろうか。予備校という存在や、その背後にある教育問題について?  あるいは通信教育というものの信頼度や効果測定?。一方、送り手の立場になってみる。広告というものは、消費者に良いイメージを与えるという使命を与えられた機械だから、作り手はどうしても「通信教育」が実は効くのだといいたくなったり、他校に対する「Z会」のブランド力を高めたくもなるだろう。しかしこの広告では、〈2001年Z会員合格シェア 東大56.2%/京大51.8%〉という小さな一文だけでそうした誘惑を軽々乗り越えてしまう。通俗的な広告は、こうしたいかにも効果的なデータを見つけてしまったら、それを一番大きな活字で扱ってしまいがちだ。しかしこの広告は、そうした一見もっともらしいデータでさえも、最大級数で扱ったが最後、それが受け手に胡散臭く見えてしまうものだということを知っている。もっと、想像もつかないような遠くから、アイデアは投げつけた方が強いものなのだ。
 そこでこのキャッチコピーが生まれる。ターゲットである親子とも、何気なく見たテレビ欄にこんなことが書かれてあれば、時節柄少しはドキリとするだろう。予備校の広告として許される道徳的な幅も正確に測定されている感じがする。これぐらいの距離感がおそらく100点なのだ。そしてさらにこの小さな広告が光彩を放つのは、キャッチではなく、受けのコピーにおいてである。
 答えを見る前に一緒に考えてみてもらいたい。「もう、お子様の中間テスト返ってきてるんじゃないですか?」と投げかけて、「○○○○たら、お電話ください」の空欄を埋めてみて欲しい。凡庸なコピーライターなら、気になる点数だったら、とか、叱りたくなったら、と書くのが第一感ではないか。正解は、「点数を見たら、お電話ください」である。そこでは、100点の人にも0点の人にも予備校が欲望の対象であることが発見されている。この小さな数文字が、ライティングの質といわれるものの実際を窺う好例であることは疑うことができない。
 しかしこの広告には、一見して大きな欠陥がある。文字だけを追ったとき、この広告の聞き手は学生の子を持つ母である。にもかかわらず、その当のターゲットを揶揄するようなイラストがキャッチと受けの間に挟まれているのはどうしたことだろう。広告がターゲットをバカにするなどもってのほかだし、文脈から考えて、ここにはまるべきは、たとえばちびまる子ちゃんのような子どもの、ギクリとする姿であるべきはずではないか。
「なっ、聞いてないわ!!」というセリフと教育ママのイラストをはめ込む倒錯は、もちろん確信犯である。これには3つの効果がある。1つめは、振り向く母を配置することで、キャッチコピーのセリフに人格が与えられることだ。おそらく、低い声や、笑うセールスマンのような悪質な笑みを持つ語り手が、この広告から想像できるはずだ。それは振り向く母という弁証法なしでは起こり得ない現象なのである。2つめは、実はこの広告が母親にではなく、当の学生に向けられているという、本当の戦略に有効だということだ。そして学生に効くのは、こうした物語を我が事ではなく、フィクションとして楽しめるエンターテイメントであるというメッセージがちゃんと届く広告なのである。そのために描かれるのは、ギクリとする子どもよりもステレオタイプの母親こそがふさわしい。最後は、〈点数を見たら〉たとえそれがどんな点数であったとしても、Z会にすこしは電話したくなるような、教育に対する母親の緊張を、この広告は少しほぐすことができるということである。カリカチュアライズされた自画像を見て、母親はそれがまさに当の自分の姿だとは決して思わない。自分ではなく、これはパロディなのだと判断してくれるだろう。理想の広告とは、それが無害なパロディだと実感させつつ、現実に押し売りを成功させ、しかも相手に好感を持ってもらえるというものであろう。その意味でこれは100点の広告なのだと思える。しかしまあ、それだけのことではあるけれども。