Isidora’s Page
  週 刊 広 告 論  

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57・缶コーヒー3種

週刊広告論

第57回 「缶コーヒー」CM3種 
 ビールの季節が終わると秋。飲料市場はこんどは缶コーヒー戦争になる。いま目立っているのではアサヒ飲料「モーニングショット」、サントリー「BOSS レインボーマウンテン」、コカコーラ「ジョージア」といったところか。構造的にもっとも単純なのはモーニングショット。缶コーヒーの多くはサラリーマンによって朝飲まれるというマーケティングデータに基づいてできた商品の「朝専用」という特性を主張することで他社と差別化するもの。昔ながらのCMといえる。残りの二つはやや考え方が新しい。レインボーマウンテンは商品の名前「レインボー」だけを売ろうとする。ガテマラ産といった商品特性はCMの舞台設定に利用されているものの、前には出てこない。訴求するポイントをそういった具体的な中身に依らず、ある種無意味な「レインボー」にのみ焦点を当て、それを徹底することで表現として突き抜けようとする広告である。自然が作る虹ではなく人為的な虹を馬鹿馬鹿しいほどがんばって作る。その結果できる美しい虹に「GOOD JOB」のコピーがかかる仕組みで、虹=新商品をがんばって作った、つまりいい缶コーヒーができましたというメッセージを同時に発しているわけである。またジョージアはボスほど抽象度が高くはないが、やはり立体的な仕組みに基づいている。主人公の女性三人がそれぞれ仕事の現場でミスをする。その瞬間三人がそれぞれ「つぎいってみよー」と叫ぶのである。最後に三人が揃って商品を飲み、「つぎいってみよージョージア」と言うのだが、このメッセージはCM自体がドラマ仕立てで連続していくよという意味とともに、缶コーヒーを飲んで気持ちを切り替えようと人々を勇気づける言葉にもなっている。レインボーマウンテンが新商品の登場感をアピールするのに対し、ジョージアはすでにスタンダードになっている商品のブランディング(好感度をあげる販促行為)広告として製作されていることが、こうした構造的な違いを生み出している。ところで僕にはこうした商品広告にはすべてに共通する大きな欠落があるようにみえる。それは何だろう。
 先述した缶コーヒーを飲むのは主としてサラリーマンというデータがたとえばヒントになるかもしれない。サラリーマンが目覚ましに飲む、あるいは仕事で失敗したときに気分転換に飲む、逆に何かがうまくいったときにゴクリと飲む。飲料CMの肝はこの「ゴクリ」と飲む瞬間の気分につきるのだが、南米で巨大な人工の虹を作るという壮大な想像力を持ってしても、着地である「ゴクリ」は、ターゲットであるわたしたちが飲む瞬間を何ら逸脱しない。「ゴクリ」の瞬間だけはCMは顧客の実感を忠実になぞろうとする。そこに欠落感があるのだ。わからないと思うので、例を挙げて示したい。ペプシコーラの海外版CM集だが、あるものでは脚本家がアクション映画のシナリオを書きながらペプシを飲み、映画の中のヒロインにもそれを飲ませた途端自分も映画の中に入ってしまう。別のものではスケートをはいた男がペプシの缶をぬって走るうちに女性の部屋に連れ込まれ、あるいはペプシを飲むたびに女性との時間が自分の思い通りに早送りされる。これらのCMは見た目は違うが本質的に日本の缶コーヒーとの違いはそれほど多くはない。しっかりマーケティングターゲットと向き合い、想像力を駆使して商品の持つ特性(爽快感)を視覚化する。ほとんどすべてにエロティックなオチが用意されているがこれとて清涼飲料水の広告であればありえる範囲だろう。唯一違うのは、このペプシという飲み物の「ゴクリ」という瞬間が虚構性を持つ点である。ペプシを飲むことで時間を動かすバージョンは同種の童話を連想させるし、ハリウッド映画のパロディでもある脚本家バージョンではペプシはB級映画の小道具として飲まれる。どのバージョンでも商品の飲まれる瞬間に物語としての豊かな重奏性があるのだ。こうした違いは国柄や文化とは一切関係なく以前にも話したがCMの基本単位の相違による。日本のCMの15秒という基本単位の枷が、30秒のCMでも60秒のものでも根本的にアイデアの出所を制約しているとしか思えないのである。