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週刊広告論

第51回 「武富士」 

2001年~ CF


 文学でも経済でも何でもいいが、何かについてものを書こうとするとき、人は本能的にその起源を探るだろう。あるいは複雑なものを分析するときに、人はそれをもっともシンプルな形へと還元せずにはいられない。そこから始めれば自分も納得できるし、説得力もあるというものだ。しかも得てしてものの起源は単純であることが多く、語るに易い。だから月並みだけど僕もそこから始めることにする。
 日本のテレビCMの歴史を振り返るのは簡単だ。何しろテレビが生まれてまだ半世紀ちょっとしか経っていないのだから。そして以前にも書いたが、テレビコマーシャルが最初に行ったのは音楽による商品名連呼であった。「ワ、ワ、ワァー、輪が三つ」(ミツワ石鹸・1954)「ホテルはハトヤ」(ハトヤホテル・1956)「ボクのなまえはヤン坊」(ヤンマー・1959)など、まさにCMはちんどん屋としてスタートしたのである。しかしこれだけでは街のネオンといっしょで数が増えれば目立つことが困難になる。そこでどこが違うのか、あるいはどこがいいのかを語る必要がでてきて、コマーシャルは一気に複雑化した。(とはいえ原初のちんどん屋スタイルのCMはジャンルとして成熟し、佐藤雅彦の「ポリンキー」のように洗練されていく。)
 ところでこうしたCM史が先祖返りしたかのような例がある。「武富士」のCMがそれである。
 武富士の有名なダンスCMは最初、いかにもローカル局の深夜CMにふさわしい質の、良くも悪くも始源的なものであった。それが放送基準緩和が全局で実施され2001年にリニューアルされ、全国的に認知されることになる。そして現在の乱立する消費者金融CMをリードした「先鞭的な」広告と目されるようにまでなった。とはいえそれ以前に深夜ローカルを中心にオンエアされていたものと、現在のリニューアルバージョンとは本質的に何も変わってはいない。ただダンスの質や演出のクオリティーが大幅に向上しただけである。単に洗練されたわけで、考えてみればこうした広告の刷新例を僕はほかに知らない。
 ところでこの表面的な事態の後ろには、もうすこし複雑な様相が見え隠れする。それは何だろうか。
 「武富士」が単純な広告形態を取ったのは予算の都合と言うよりは広告規制への対応であった。倫理との兼ね合いと言った方がいいのかもしれない。煙草広告同様、消費者金融を売るというのは本来「売ってはいけない」ものを売るということである。広告というのはどうやっても結局、商品の良さをアピールする装置でしかないのだから、売ってはいけないものをどう魅力的に表現してもそれははじめから破綻している。作り手の立場としては根本的にあり得ない話だとも言える。だからこそ窮余の一策としてのダンスなのであり、社名だけを憶えてもらえばいいという意味での名刺広告だったのだろう。
 こうした消費者金融の広告をめぐる状況が現在、一変したのはご存じの通り。いま広告ジャンルでもっとも気を吐いているのは当の消費者金融なのである。法規制の問題ではもはやない。消費者が暮らしの中に消費者金融を受容したというわけでもないだろう。ではなぜ「売ってはいけない」ものを売るCMがここまで多様な表現を得ることができたのか。いや、そもそも消費者金融のCMはいつのまに存在可能なものになったのか。そこに現代のCM事情を読み解く鍵が隠されているに違いない。少なくとも武富士のCMがリニューアルした2001年以降、日本のCMは二つ目のクールに入ったという実感を僕は深く持っている。