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週刊広告論
第21回 「父」 

ツヴァイ/2001年8月19日 朝日新聞朝刊6面


   こうした拙文でさえ、すこしは書く前に想定した構想やイメージがある。巨費を投じた広告ともなると無数のスタッフが練りに練ってつくるものだろう。そしてその練られたアイデアや細部の精度は、実は批評する立場にとって、大きな足がかりになる。その襞を開陳することもできるし、制作者にはみえない無意識をねつ造する可能性も広がる。だから、奥行きや広がりのある広告、あるいは意表をつくアイデアがある広告ほど、語る切り口も増えるし、揚げ足も取りやすいということになるだろう。その意味で今回の広告は手に負えない。どこから斬りつけても手応えがない。広告賞などとは縁がない、匿名性の高い広告。にもかかわらず無視できない魅力があるのだ。いったいこの広告には、何が起こっているのか。
 今回取り上げるのは、結婚相談所「ツヴァイ」の登録者募集の広告である。下半分が巨大な電話番号や切り取って葉書にするスペースになっているという、制作者にとってはかなり劣悪な条件下の広告である。メインビジュアルは家族の写真。この相談所で知り合った夫婦なのであろうことは、説明の要もない。
 キャッチコピーは「私たちはツヴァイ婚です」。これも特徴のない広告に特有のコピーパターン。つまりキャッチに商品名や社名をつけることで、広告の固有性を出すほかないという、最後の手段が取られている。それほどこの広告は苦しい状況に置かれているともいえるが、安易な解決に逃げ込んでいるともとれる。写真の上部に連ねられたボディコピーでは、ふたりがツヴァイで知り合った日のこと、結婚に至る経緯、現在の幸福な心境や相手に対する思い、ツヴァイの出会いのすばらしさが夫婦それぞれの言葉で記されている。よく書けていると思うが、特筆すべき細部はない。おまけにこのインタビュー企画はツヴァイのホームページの1コーナーを再構成したもので、いわば出涸らしなのである。
 全体に緻密さとは縁のないこの広告を決定的に象徴するのは、やはりそのメインの写真であろう。第一にピントがきていない。広告に使われる写真は、後で加工されることがほとんどで、こうした「自然なスナップ風」写真ほど、実はすっぴんにみせる化粧のように素人にはみえない技巧が凝らされているものなのだが、この写真はそうした加工を一切受けていない。3人の背後のちゃぶ台や敷きっぱなしの布団、ほ乳瓶も、スタイリストがゼロから置いたというのではなく、カメラマンが入ったらその状態だったという感じ。赤ちゃんの上に僅かにみえる新聞紙のようなものなど、ファインダーを覗くものなら気にならない方がおかしい。とにかく腹が立つほど無造作なのだ。
 それでも最初にこの広告を面白いと思ったのは、美男美女ではなく、ありふれた夫婦を登場されることによって、ツヴァイ婚の等身大の姿を見せようという企画がそれなりに成功していると思ったからだ。しかしそれだけでは無性にいらいらするようなこの奇妙な感覚は解消されない。結婚相談所など、法人でないものまで含めれば、その起源は日本史の教科書の最初の方に出てきそうなほどありふれた業種だし、この写真も戦後日本ならいつでも撮れそうな無時間性を持っている。そうしたツヴァイの優位性などとはまるで連関しない無個性な要素を投げ出すように配置して、いったいこの広告はなんなのだ。あまりに戦略がないので、何がなにやらわからない。
 ねるとんパーティーや心理テストによる相性診断など、現代の結婚相談会社の不自然なイメージはおそらく一般に共有されているものだろう。もしかしたら、それとこの幸せな家族写真との乖離に僕は驚いているのだろうか。あるいはコミュニケーションツールがやたらと進化した現代にありながら、このような平凡な幸福がツヴァイに入らないと手に入らないという事実に対して、知的に驚いてみせているのだろうか。
 もう一度メインビジュアルを注視する。もしかしたら事態はもっと広告的なものなのではないか。まったく広告的な風景とは無縁な家族写真。畳にあぐら姿で乳児を抱く寝間着の父。そして気づく。これは従来の広告のように、幸福や安定の象徴的なイメージとして採用されているのではない。これこそが当の商品なのだ。この日常が、高いお金を出して買う、商品そのものなのである。長い広告史の中で、たとえばこのような父が消費される欲望の、直接的な対象となったことはあっただろうか。このような商品広告の存在を僕はついぞ知らなかった。しかもこの商品は、写真で見せるとき、ブラッシュアップしなければしないほど魅力が輝くという反商品でもあるのだ。その前代未聞さが呼び起こした興奮だったのである。

ツヴァイ