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週刊広告論

 第34回「家」 

三井ホーム/2002年1月11日 朝日新聞朝刊27面


 自分はつくづく日本の資本主義社会に向いていないのではないかと思うことがある。今回取り上げる広告などを見ると、ますますその感が強くなる。
 三井ホームの新しい家の広告である。住宅の仕事はあまりしたことがないのでほとんど無知なのだが、住宅メーカーのあり方が日本の場合相当独特ではないかと思う。何か、不可能に挑戦しているような感じすらするのだ。メーカーはたくさんあり、自分のところの商品を買ってもらうためには努力や工夫が必要ではあるだろう。しかしその決め手が、車で言えばフォルクスワーゲンやボルボのような設計哲学ではなく(そもそも住宅メーカーに車のようなブランド力がどれほどいるのかとも思うが)、素材や技術力、あるいはコストの優劣でもなく、アイデアだという発想が恐ろしいのだ。これはほとんど、「頭を真っ白にして、いままでにないような、素晴らしい家を発明しろ」という命令を受けているに近い。この広告を見ると、そうした極端にひどいストレスに晒されて産み落とされた、ヒステリックな家であるという気がして滅入る。
 キャッチフレーズは「人は、なにかしたり、なんにもしなかったり、する。」。まあ、当たり前の話だ。これだけでは何のことかわからない。本文を読む。「私たちの日常生活を考えてみると、いつも働いているわけではなく、かといって、いつもボーッとしているわけでもない。なにかしたり、なんにもしていなかったり、する。そのことに注目して、三井ホームは、室内を「Do-common」と「Be-common」という考え方で分けてみました。」これはコピーライティングではない。コンセプトフレーズである。というか、ここではまるで人を煙に巻くコピーライターの文章のような考え方で、家が本気で構想されているのだ。快適であるとか、美しいとかに一直線で向かわず、そこで行われる個々の生活に踏み込んで家を設計すること。そこに得体の知れないストレスを感じずにはいられない。そして決定的なのは、商品名のタグラインになっている「つながる家」というおさえのフレーズだ。この家は最終的には「家族のつながりが強まる家」へ向かうのである。これは三井だけではない。以前取り上げたへーベルハウスなど、現代のハウスメーカーの共同意識が必ず向かう先なのである。
 日本の家は誰に言われもしないのに、消費者の家庭問題を解決しようとする。いくら採光のいい家を造っても、家族が暗くては仕方がないとでも考えているのだろうか。この、誰に命じられてもいない問題に必死で取り組む、文字通り命を削ってアイデアを絞り出す設計者、プランナーの姿は滑稽であり、哀しい。とても人ごととは思えない。暗さを決して許さない日本の広告はどこか分裂病的で、こうした例を見るとそれはたぶん広告だけの話ではないのだろう。第一、ドゥ・コモンだとか、ビー・コモンだとか、こんなに描写のややこしい家では、ミステリー作家は怖くて人も殺せないではないか。コピーライターにとっても、黒死館や氷沼邸よりも、家族のつながる明るい家のほうがよほどうなされそうな感じがする。何とかならないものか。
三井ホーム