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週刊広告論

第46回 「莫」 

TOYOTA&NISSAN/2002年8月23日 朝日新聞朝刊


 この広告論をはじめた頃、石堂さんに面白い広告があったら教えてくださいといったら、「車のばかりで面白いものはなかなかありません」といわれたことがあった。その時、コード化された自動車広告について書いてみたいと思った。見るものの想像力を瞬時に奪ってしまうようなバクのような広告。その使命をとうに終えたにもかかわらず何度も繰り返し紙面に現れる幽霊のような広告…。
 今回取り上げるのはそんな自動車広告2本である。どちらも同じ日の新聞で打たれた。
 ひとつはフェアレディZのリニューアルモデル。モノクロを4色のカラーを重ねて再現する手法で、美しく存在感のある車体がノーコピーで置かれている。そして日産のロゴの上に小さく「神話は、受け継がれる、永遠に。」と書かれる。それ以上にどんなコピーを並べても、あるいはどんなイメージを重ねてもこの広告の力は弱まるに違いない。フェアレディZという車の名を知るものにとって、これ以上の広告は不可能ではないか。
 もうひとつはやはり歴史のある「クラウン・ロイヤルシリーズ」の広告。タクシーなどに人気のある車種のハイグレードモデルである。いかにもロイヤルな庭園にクラウンが鎮座している。そして、「人生を愛することに等しい」というキャッチコピー。ボディコピーも畳みかけるように「…そこで過ごす至福の時間に、暫し思いを巡らせてみるのもいいだろう。クラウンで走る人生。その想いが現実になったとき、人は“愛車”という言葉に込められた、ほんとうの意味を改めて知ることになるのだから。」とくる。この、ターゲットを見切ったビジュアルや言葉遣いによって、クラウンのイコンとしてこの広告は完璧に機能しているように見える。
 にもかかわらず、これらの広告は、もはや車種と同じく時代遅れで、まったく閉じられた世界の中でしかその役割を果たせない。広告としてこんなに完成度が高いのに、少しも商品に魅力が感じられないのだからこれはもう悲劇である。実際この広告が打たれて3ヶ月以上が経つが、売れているのは小型の低価格ワゴンばかりで、こうした類の車種の名はまったく聞こえてこない。今や車は夢より道具として選ばれているわけで、それはまったく正常なことでもあろう。やはりこうした商品や広告の寿命はとうに終わっているのに違いない。
 このような紋切り型の思考にこれらの広告は私たちを誘う。高度にコード化された広告は人の批判力さえも、かくも奪ってしまうのである。
日産
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